朝日日本歴史人物事典 「徳川治済」の解説
徳川治済
生年:宝暦1.11.6(1751.12.23)
江戸時代の御三卿一橋家の2代目当主。初代宗尹と細田氏おゆかの子。幼名豊之助。宝暦8(1758)年世子となり,12年元服して民部卿治済と称した。明和1(1764)年従三位左近衛権中将に叙任。同年宗尹の没後,14歳で家督を相続。天明1(1781)年参議,寛政3(1791)年権中納言と昇進し,11年に家督を斉敦に譲って隠居した。このとき従二位権大納言に叙任。将軍家斉の実父でもあるため,文政3(1820)年従一位,8年准大臣と栄進。田沼意次政権の崩壊,松平定信政権成立の際の黒幕として知られる。
(深井雅海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報