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徳川治済 とくがわ はるさだ

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美術人名辞典の解説

徳川治済

一橋徳川家第二代、宗尹の第四子、将軍吉宗の孫、家斉の父、民部卿から左近衛中将に進み家を継ぎ、後参議となる。子の家斉が将軍になった際、治済を大御所として西丸に迎えようとするが、松平定信に拒まれ、政局の紛糾を招いた尊号事件が起きたが、定信が政局を退いた後、治済の勢力は幕府に大きく影響した。文政10年(1827)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川治済 とくがわ-はるさだ

一橋治済(ひとつばし-はるさだ)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

徳川治済

没年:文政10.2.20(1827.3.17)
生年:宝暦1.11.6(1751.12.23)
江戸時代の御三卿一橋家の2代目当主。初代宗尹と細田氏おゆかの子。幼名豊之助。宝暦8(1758)年世子となり,12年元服して民部卿治済と称した。明和1(1764)年従三位左近衛権中将に叙任。同年宗尹の没後,14歳で家督を相続。天明1(1781)年参議,寛政3(1791)年権中納言と昇進し,11年に家督を斉敦に譲って隠居した。このとき従二位権大納言に叙任。将軍家斉の実父でもあるため,文政3(1820)年従一位,8年准大臣と栄進。田沼意次政権の崩壊,松平定信政権成立の際の黒幕として知られる。

(深井雅海)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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