一橋治済(読み)ひとつばしはるさだ

改訂新版 世界大百科事典 「一橋治済」の意味・わかりやすい解説

一橋治済 (ひとつばしはるさだ)
生没年:1751-1827(宝暦1-文政10)

江戸時代の三卿一橋家の2代目。8代将軍徳川吉宗の孫で,11代将軍家斉実父家格に従い徳川民部卿と称した。権勢の強かった田沼意次に代えて松平定信を擁立するのに功があったが,しだいに将軍の実父として威勢を強め,その生活は驕奢を極めた。位も従一位に昇る。家斉は治済を大御所として江戸城西の丸に迎えようとしたともいわれる。没後太政大臣が追贈された。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一橋治済」の解説

一橋治済 ひとつばし-はるさだ

1751-1827 江戸時代中期-後期,三卿(さんきょう)一橋家の2代。
宝暦元年11月6日生まれ。一橋宗尹(むねただ)の4男。徳川吉宗(よしむね)の孫。明和元年家督をつぐ。11代将軍徳川家斉(いえなり)の実父であったため,家斉は治済を大御所としてむかえようとしたが,老中松平定信(さだのぶ)の反対で実現しなかったという。従一位,准大臣。文政10年2月20日死去。77歳。

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世界大百科事典(旧版)内の一橋治済の言及

【中野碩翁】より

…また各方面から多量の賄賂を獲得し,隠居後は向島に瀟洒な下屋敷を構えて気ままな生活を楽しんだ(上屋敷は駿河台)。その驕奢は評判を極め,家斉の実父一橋治済(はるさだ)(穆翁),家斉夫人の父島津重豪(しげひで)(栄翁)とともに三翁と称された。【北原 章男】。…

※「一橋治済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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