歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「心中紙屋治兵衛」の解説
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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…なお,治兵衛とおさんは従兄妹同士でもあるため矛盾は周りへと波及するが,兄の孫右衛門や叔母の苦境もよく書けている。改作物では歌舞伎《のべの書残(かきおき)》の影響などもうけて増補された1778年(安永7)4月大坂北新地芝居初演の近松半二作《心中紙屋治兵衛》が最も有名で,その〈茶屋の段〉が〈河庄〉として流行し,また〈紙屋内〉は半二の作をさらに改めた《天網島時雨炬燵(しぐれのこたつ)》(略して《時雨の炬燵》とも)がもっぱら演じられてきた。歌舞伎では《のべの書残》を補訂した《のべの書置》系統のものも多く上演されてきた。…
…62年の《奥州安達原》以後,70年(明和7)まで立作者近松半二,脇作者竹本三郎兵衛に群小作者が加わった体制で,《敵討稚物語》《蘭奢待新田系図》《姻袖鏡(こんれいそでかがみ)》《本朝廿四孝》《小夜中山鐘(つりがねの)由来》《太平記忠臣講釈》《関取千両幟》《三日太平記》《傾城阿波の鳴門》《近江源氏先陣館》《太平頭鍪飾(たいへいかぶとのかざり)》(現行曲《鎌倉三代記》の原型)と名作を相次いで生むが,半二の健筆にもかかわらず,人形浄瑠璃は衰退期にさしかかり,1767年には竹本座も退転し,再興はされたものの興行的に不安定な状態が続く。71年,傑作《妹背山婦女庭訓》(三好松洛らと合作)を著した後,安永期(1772‐81)には世話物が多くなり,《心中紙屋治兵衛》(《心中天の網島》の改作。上の巻は現行の《河庄》),《往古(むかしむかし)曾根崎村噂》《新版歌祭文》などが生まれる。…
※「心中紙屋治兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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