精選版 日本国語大辞典 「中村座」の意味・読み・例文・類語
なかむら‐ざ【中村座】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸の歌舞伎劇場。1725年(享保10)の書上(かきあげ)によると,1624年(寛永元)に猿若勘三郎が猿若座を創設して興行を始めたとするが,年代に疑問がある。51年(慶安4)には一座を率いて江戸城へ参入。52年(承応元)頃の若衆歌舞伎禁止後も存続し,江戸歌舞伎の筆頭の座と目され,堺町で興行を続けた。3世(2世とも)勘三郎のとき姓を猿若から中村に改め,座名は中村座と猿若座を併用した。1793年(寛政5)秋から97年の秋まで休座し,都(みやこ)座がかわって興行。1842年(天保13)猿若町1丁目へ移転。75年(明治8)3世中村仲蔵へ興行権が委譲され,さらに都座・猿若座・中村座・鳥越座と名称をかえ,93年に焼失して廃座となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…江戸で公許された中村座,市村座,森田座(のち守田座)の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが,1714年(正徳4),江島生島事件によって山村座が廃絶,以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。…
…舞踊の名手で人気の伯仲していた3世中村歌右衛門と3世坂東三津五郎との対抗が,変化舞踊の流行に拍車をかけた。
[黙阿弥と幕末]
1841年(天保12)10月,堺町中村座と葺屋町市村座が焼失したのを契機として,芝居の取りつぶしが計画された。これは天保改革の一環であった。…
…江戸では,すでに興行地化していた中橋南地(現在の日本橋通3丁目付近)や,葭(吉)原の遊里が歓楽地として栄えはじめた。1624年(寛永1)2月に,初世猿若(中村)勘三郎が中橋に歌舞伎常芝居猿若座(後の中村座)を創設した。常設の歌舞伎劇場のはじめである。…
… 江戸時代に入ると歌舞伎や人形浄瑠璃の興行は,江戸でも上方でも共通に幕府から興行権を与えられたもののみが行うことができるというきびしい仕組であった。江戸を例にすると宮地芝居を別として,歌舞伎では1714年(正徳4)9月以降幕末まで中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3人の座元に限って,歌舞伎を興行する権利が官許され,興行権の象徴である〈櫓(やぐら)〉をあげることができた。この3座を〈江戸三座〉と呼んでいる。…
…現在の東京都台東区浅草6丁目に相当する。都市の消費経済の締付け政策をとった天保改革により,1841年(天保12)から42年にかけて,堺町の中村座,葺屋町の市村座,木挽町の河原崎座(森田座)の江戸三座が,江戸の市外地である浅草聖天町,小出信濃守の下屋敷跡へ移転を命じられた。その地が猿若町と名づけられ,1丁目に中村座と人形浄瑠璃の薩摩座が,2丁目に市村座と人形浄瑠璃の結城座(ゆうきざ)が,3丁目に河原崎座が建築され,明治初年まで,江戸の歓楽街として繁栄した。…
…江戸中村座の座元,歌舞伎俳優。初世から3世までの経歴は,中村家の《家記》と称される書,享保10年(1725)書き上げの《江戸三芝居由緒書》など自己の家を語る粉飾の多い伝承によらざるをえず,検討を要するが,以下一応の通説を記す。…
※「中村座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新