日本歴史地名大系 「我田村」の解説 我田村わがたむら 岐阜県:可児市我田村[現在地名]可児市久々利(くくり)久々利村本郷の北、岡本(おかもと)山の北側の栃洞(とちぼら)・北洞(きたぼら)などの小さな洞が連なる山に囲まれた村。久々利七郷の一。慶長郷帳などには久々利村として一括記載され、尾張藩領。寛永年間(一六二四―四四)の御両家并九人衆高概免覚書(西山文書)に村名がみえ、高九六石。うち九〇石が千村重秀の給地。「士林泝」(蓬左文庫蔵)によれば重秀の子正吉のとき他の九人衆とともに寛文七年(一六六七)名古屋城下へ移住。翌八年正吉は藩より追捕され終身禁固となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by