日永遺跡(読み)ひながいせき

日本歴史地名大系 「日永遺跡」の解説

日永遺跡
ひながいせき

[現在地名]浮羽町山北

筑後川左岸の台地上に立地する。弥生時代後期から奈良時代にかけて継続的に営まれた集落跡。昭和六一年(一九八六)広形銅矛と広形銅戈の埋納遺構が発掘されて注目された。埋納遺構は弥生後期集落跡の中にあり、長さ一〇〇センチ・幅二五センチ・深さ一五センチの楕円形の穴に、銅矛と銅戈が鋒を同じ方向に向け刃部を立てた状態で発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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