日本歴史地名大系 「山北村」の解説
山北村
やまきたむら
山北村
やまぎたむら
江戸時代の山北村は、天正一六年(一五八八)大忍庄地検帳にみえる
山北村
やまぎたむら
- 福岡県:前原市
- 山北村
採集文書/筑前怡土荘史料(九州荘園史料叢書))に「山北」とみえ、石井彦八郎に二反半、波多江平左衛門に二反が与えられている。小早川時代の指出前之帳では田一四町余(分米一八〇石余)・畠二町九反余(分大豆一六石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高四一三石余、うち大豆四四石余(慶長石高帳)。福岡藩領。元禄五年(一六九二)の高四二〇石余、うち畠四四石余、反別二八町八反余、家数二〇・人数一三二、社一(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。文化三年(一八〇六)には武士が在村した(筑前西郡史)。
山北村
やまきたむら
山北村
やまきたむら
山北村
さぼくむら
山北村
やまのきたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報