日泰(読み)ニッタイ

世界大百科事典(旧版)内の日泰の言及

【妙満寺】より

…そののち〈諸宗は堕獄の根源,法華宗ばかり成仏なるべし〉を標榜して折伏(しやくぶく)の布教を伝統とした日什門流の拠点となり,京都二十一ヵ本山(近世には十六ヵ本山)の一つとして栄えた。上総七里法華の基を築いた日泰,慶長法難で不受不施(ふじゆふせ)を主張して徳川家康に弾圧された日経は,当寺の僧である。寺地は中世には下京地域を転々とし,1583年(天正11)豊臣秀吉の命により寺町二条に移り,廃仏毀釈で寺勢を減じたが,明治期には塔頭(たつちゆう)4院,末寺550ヵ寺があった。…

※「日泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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