春風亭昇太(読み)しゅんぷうていしょうた

知恵蔵 「春風亭昇太」の解説

春風亭昇太

日本の落語家。静岡県静岡市(旧清水市)出身、1959年12月9日生まれ。本名は田ノ下雄二(たのしたゆうじ)。落語芸術協会の理事を務め、階級は、寄席で最後に登場する資格を持ち、弟子を取ることもできる真打ち。現代的な要素を取り入れた「ストレスの海」や「愛犬チャッピー」などの新作落語を得意とする一方、独自の解釈で再構築した古典落語も高く評価されている。2006年5月から人気演芸番組「笑点」(日本テレビ系列)の大喜利メンバーとなり、16年5月、同番組の司会を勇退する桂歌丸後任として、6代目の司会者に就任した。春風亭小朝や笑福亭鶴瓶、立川志の輔らとの所属流派や団体を超えた落語家ユニット「六人の会」にも参加する。主な受賞歴に、NHK新人演芸コンクール優秀賞(1989年)、浅草芸能大賞新人賞(98年)、国立演芸場主催花形演芸大賞大賞(2000年)、第55回文化庁芸術祭大賞(演芸部門、00年度)などがある。
2人兄弟の二男で、子どもの頃からお笑い好きだった。兄は落語好きだったが、本人は興味がなく、中学時代はブラスバンド部、高校時代はソフトボール部に所属した。1978年に東海大学に入学し、たまたま出会った落語研究部の先輩らのおもしろさに引かれて入部する。着物高座に上がって話をした際の観客に受ける快感や楽しさから落語にのめり込んで実力を伸ばし、2年の時には学生落語の全国大会で優勝した。
大学を中退して82年、春風亭柳昇に入門する。8番目の弟子だったため前座名は昇八(しょうはち)となった。86年に二ツ目に昇進し、春風亭昇太と改名する。通常は二ツ目で約10年修行するが、92年、二ツ目から6年で真打ちに昇進した。真打ちになってからは、テレビやラジオ、舞台演劇などへ活動の場を広げ、ラジオ番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティー(2005~06年)を務めたほか、テレビドラマ「軍師官兵衛」(NHK、14年)や「下町ロケット」(TBS系列、15年)などに俳優として出演した。ミュージシャン細野晴臣とのライブ、俳優の六角精児らとの音楽劇など、ジャンルを超えた交流にも、意欲的に取り組んでいる。その一方で、2003年に所属の異なる若手と創作話芸の会SWA(すわっ)をスタートさせるなど(SWAは11年末で活動休止)、新作落語やネタの研究に励む。
06年に大喜利メンバーとなった笑点は、銀鼠(ぎんねず)色の着物で臨み、「独身キャラ」で人気を博している。若手大喜利での安定した司会ぶりや若さ、好感度の高さなどが評価され、6代目司会者に選ばれた。初めて司会として臨んだ16年5月29日の放送は平均視聴率が28.1%(関東地区)と、番組が現在の時間帯になった1996年以来歴代最高となり、2回目の6月5日も同22.8%(関東地区)の高視聴率を記録した。なお、大喜利メンバーの後任には、林家三平が就任している。
城巡りや眼鏡収集、クラシックカー、トロンボーンなど多趣味なことでも知られており、中学時代から熱中している城巡りでは、著書『城あるきのススメ』(小学館)がある。

(南 文枝 ライター/2016年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「春風亭昇太」の解説

春風亭昇太

日本の落語家。1959年12月9日生まれ、静岡県出身。本名は田ノ下雄二。落語芸術協会理事で階級は真打ち。82年に春風亭柳昇に入門する。前座名は昇八(しょうはち)。86年に二ツ目昇進し、春風亭昇太と改名する。92年、真打ち昇進を果たす。2006年5月より、日本テレビの人気番組「笑点」の大喜利メンバーに加入し、16年5月22日には、同番組司会を勇退する桂歌丸の後任として同番組6代目の司会者に決定した。主な受賞歴に、NHK新人演芸コンクール優秀賞受賞(1989年)、浅草芸能大賞新人賞受賞(98年)、花形演芸大賞受賞(2000年)、第55回文化庁芸術祭演芸部門大賞受賞(2000年)などがある。

(2016-5-24)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

367日誕生日大事典 「春風亭昇太」の解説

春風亭 昇太(2代目) (しゅんぷうてい しょうた)

生年月日:1959年12月9日
昭和時代;平成時代の落語家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android