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フィリピンの画家。19世紀末葉のフィリピンは政治,文化の各方面で優れた人材を輩出したが,絵画の世界ではルナとF.レスレクシオン・イダルゴの2人が世界的名声を博した。ルナは北イロコス州バドック町の名家に生まれ,マニラの航海術学校を卒業,2,3年間海の男の生活を送った後,1877年スペインへ留学してマドリードのサン・フェルナンド芸術学校でアレホ・ベラについて油絵を学んだ。天賦の才はたちまち開花し,翌78年以後ヨーロッパ各地の展覧会で数々の大賞に輝いた。代表的作品には,《レパントの戦》《人民と王》《血盟》などの歴史画と,フランス印象派の影響をうけた人物画の二つの流れがある。フィリピンの改革を求めるプロパガンダ運動や革命運動にも積極的に参加し,入獄などの経験をした。
執筆者:池端 雪浦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また,月から見て地球はいつも同じ方向にあり,月はいつも同じ面を地球に向けているので,地球の潮汐によって地球に向いている赤道の直径は,これに垂直な直径より長いはずといわれていた。ところが,月のまわりを回ったNASAのうち上げたアポロやルナ・オービターの測定によると,地球を向いた面は平均の球から2.6kmほどへこみ,反対側はほぼこれと同じくらいとび出していることがわかった。したがって,月では球の中心と重心とが2kmほどずれている。…
…カスティリャ王。在位,1407‐54年。後のカトリック女王イサベル1世の父。中世末期のその治世下,カスティリャは王権の強化に向かう西ヨーロッパ政治の趨勢とこれに対する大貴族の抵抗が激突を繰り返す舞台と化した。生来気弱で積極的に主導権を行使する才覚にも欠けた王は,終始状況の推移に翻弄され続け,王に代わって政治の采配を振るった寵臣アルバロ・デ・ルナÁlvaro de Luna(1390?‐1453)が政敵の手で処刑されると,まもなく没した。…
…カスティリャ王。在位,1407‐54年。後のカトリック女王イサベル1世の父。中世末期のその治世下,カスティリャは王権の強化に向かう西ヨーロッパ政治の趨勢とこれに対する大貴族の抵抗が激突を繰り返す舞台と化した。生来気弱で積極的に主導権を行使する才覚にも欠けた王は,終始状況の推移に翻弄され続け,王に代わって政治の采配を振るった寵臣アルバロ・デ・ルナÁlvaro de Luna(1390?‐1453)が政敵の手で処刑されると,まもなく没した。…
※「ルナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...