朝日日本歴史人物事典 「杉浦誠」の解説
杉浦誠
生年:文政9.1.9(1826.2.15)
幕末の幕臣,箱館奉行,開拓使函館支庁主任官。名は誠,通称は正一郎,官名は兵庫頭,号は梅潭。久須美祐義の長男,杉浦家の養子。文久2(1862)年洋書調所(のち開成所)頭取から目付,3年には目付筆頭となり,幕府の外交方針決定の中枢に参画。しかし元治1(1864)年に政変により辞職。慶応2(1866)年箱館奉行となり,開港場箱館へ赴任。ロシアとの国境問題,イギリス人のアイヌ人骨盗掘問題,蝦夷地開拓のための西洋農法導入問題などの外交折衝に対応。明治1(1868)年,江戸幕府の倒壊後,蝦夷地を平穏裡に新政府へ引き継ぎ,江戸に戻って徳川宗家の公議人となった。翌2年開拓使が設置されると,開拓権判官に任ぜられて箱館在勤。8年開拓使3等出仕となり,10年開拓使を辞し東京へ帰る。のち晩翠吟社を起こし,梅潭と号し詩作を楽しむ生活で余生を送る。<著作>小野正雄監修『杉浦梅潭 目付日記・箱館奉行日記』
(紺野哲也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報