東叡山御宮神人拝領屋敷(読み)とうえいざんおみやじにんはいりようやしき

日本歴史地名大系 「東叡山御宮神人拝領屋敷」の解説

東叡山御宮神人拝領屋敷
とうえいざんおみやじにんはいりようやしき

[現在地名]台東区上野うえの七丁目

屏風坂下下谷びようぶざかしたしたや町一丁目代地の北にある。元禄一〇年(一六九七)から存在が確認される。東は武家屋敷、西は道を隔てて御徒組屋敷、北は下谷御具足したやおぐそく町。規模は京間で表間口四間・裏行八間三尺、四一坪(諸向地面取調書)。東叡山寛永寺塔頭寒松かんしよう(東照宮別当)が所持していたが、享保三年(一七一八)八郎兵衛が地守になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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