…初期の水運は流域農村と城下との間の小規模なものであったと思われる。水運が盛んになるのは1646年(正保3)に久留米藩が年貢米の大坂輸送のために,城下入口の瀬下(せのした),および河口の榎津(えのきづ)(現,大川市)に河岸を開いてからである。流域には関(幕府領),荒瀬,恵利,住吉(以上久留米領)などの河岸ができた。…
…中央部は番嶽(443m)を主体とする山系が南北に走るため,山脈の尾根を海に浮かべたような険しい海岸線が多く,集落は海岸部のわずかな平地や緩傾斜地に散在する。中心集落は東南部,有川湾に面する榎津(えのきづ)で,中央部の立串(たてくし)とともに定期船が佐世保港へ通じる。耕地が狭く水田はわずかで,急傾斜地を石積みした段々畑が多いが,近年は荒廃がめだっている。…
※「榎津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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