住吉(読み)すみよし

精選版 日本国語大辞典 「住吉」の意味・読み・例文・類語

すみよし【住吉】

[一] 摂津国(大阪府)の古郡名。古くは「すみのえ」と呼称され、「すみよし」の呼称は平安初期以降。明治四年(一八七一)の廃藩置県により堺県に属する一部が旧和泉国の大鳥郡に移され、同二九年東成郡に合併された。三韓との往来などに利用された古代の要津。→「すみのえ(住吉)」の語誌。
※伊勢物語(10C前)六八「すみよしの郡、すみよしの里、すみ吉の浜をゆくに、いとおもしろければ」
[二] 大阪市の行政区の一つ。大和川の右岸上町台地の南端に位置する。大正一四年(一九二五)区制。阪和線、南海本線・南海高野線、阪堺電気軌道阪堺線・上町線が通じ、市南部の代表的住宅地として発展。昭和四九年(一九七四住之江区を分区。
[三] 大阪市住吉区北西部の地名。住吉大社がある。
※古今(905‐914)雑上・九一七「住吉とあまはつぐともながゐすな人忘草おふといふなり〈壬生忠岑〉」
※枕(10C終)二一二「物語はすみよし、うつぼ」

すみよし【住吉】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「住吉」の意味・読み・例文・類語

すみよし【住吉】[地名]

大阪市の南西部、住吉区・住之江区あたり一帯の地名。古くは「すみのえ」と称されたが、平安初期以降「すみよし」とも読まれるようになったもの。
大阪市南部の区名。昭和18年(1943)阿倍野東住吉を分区し、同49年住之江を分区した。住宅地。臨海工業地帯住吉大社などがある。
住吉大社」の略。
箏曲そうきょく。寛政12年(1800)以前に山田検校が作曲。住吉大社参詣を主題としたもの。

すみのえ【住吉/住之江/墨江】

大阪市住吉すみよしの古称。[歌枕]
「―の岸による浪よるさへや夢のかよひぢ人めよくらむ」〈古今・恋二〉
(住之江)大阪市南西部の区名。昭和49年(1974)住吉区から分区して成立。西部は埋め立て地。

すみよし【住吉】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「住吉」姓の人物
住吉具慶すみよしぐけい
住吉如慶すみよしじょけい

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日本歴史地名大系 「住吉」の解説

住吉
すみよし

王府時代の儀間じーま村の北部をいう。北から東にかけて那覇港に面する。地名は住吉森に住吉大明神が鎮座したことによる。「琉球国由来記」では同社の神体は霊石、開基は不明とする。順治一六年(一六五九)社殿再興、棟文によると儀間親雲上宗重が奉行。宗重は麻姓八世儀間親雲上真時(「球陽」附巻尚質王一二年条)。さらに真時は康熙三五年(一六九六)に拝殿を建立した(前掲由来記)。由来記も絶賛する首里王城を遠望する景勝の地でもあった。沖縄戦後那覇軍港となり壊滅し、同社は山下やました町の丘陵崖地に再建・移設された。

琉歌で「月やあまこまになかめてとむきやる うきよすみよしのあきの今宵(月はあちらこちらで眺めてみたが、浮世が住みよい住吉の秋の今宵の月にまさるものはない)」のように住みよいということと地名の住吉とが掛けて詠まれる(古今琉歌集)

住吉
すみよし

現住吉一丁目の住吉神社付近をさすとみられる。「一蓮寺過去帳」には永享(一四二九―四一)頃供養の行阿弥陀仏、同じ頃の八月一五日供養の神一房、同一一年九月五日供養の師阿弥陀仏、嘉吉二年(一四四二)と推定される三月二六日供養の願阿弥陀仏などに各々「住吉」の注記がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「住吉」の意味・わかりやすい解説

住吉 (すみよし)

大阪市南西部,上町(うえまち)台地南端一帯の地名。現在の大阪市住吉区に比定される。古くは大阪湾の入江で住江(吉)(すみのえ)と呼ばれ,墨江(すみのえ)とも書かれた。またその港は墨江津,三津(みつ)といわれた。記紀によれば崇神天皇のころ,付近に依網(よさみ)池がつくられたとされ,古くから開けていたようである。古代には朝鮮半島との往来,遣唐船の出発地など海外交通の重要な港であり,また航海守護の神として知られる住吉大社が鎮座し,参詣する人々でにぎわった。淀川から流出する土砂のため,南北朝期ごろには港としての役割はなくなり,〈すみのえの野木の松原遠つ神わごおほきみのいでましどころ〉(《万葉集》巻三,角麿)とうたわれた住吉の面影もなくなった。後村上天皇がここに行在所(あんざいしよ)(住吉行宮(すみよしのあんぐう))をおき,南朝勢力の回復をはかったこともあるが,戦国時代以後しばしば戦場となり,とくに大坂夏の陣では住吉大社以外はすべて焼失した。江戸初期の作品と思われる《住吉祭礼図屛風》をみても,堺の華やかな町に対して住吉はいなかのように描かれ,住吉大社へ参拝する船主・商人などは多かったが,まだ村の域をでていなかったようである。

 なお住吉(すみよし)/(すみのえ)は歌枕として著名で,ことに〈住吉の松〉を詠む歌は多く,また〈住吉の遠里小野(とおさとおの)〉〈住吉の浅沢小野〉〈住吉の忘れ草〉,そして〈住の江の岸による浪よるさへやゆめのかよひぢ人めよくらむ〉(《古今集》巻十二,藤原敏行)のように〈住吉の岸〉など,住吉にかかわって詠まれるものは数多い。平安後期以降,住吉神社は和歌の神としても崇敬されている。
住吉大社
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住吉 (すみよし)

狂言謡の曲名。小舞(こまい)としても舞われる。摂津の国住吉神社(住吉大社)付近の情景をうたった短章の歌謡。別称《爰(ここ)は住吉》,古称《舟形》。若衆歌舞伎踊歌に類似の詞章が見える。古くは狂言の中でも舞われたらしいが,現在では独立の小舞としてのみまれに演じられる。ゆったりとしたテンポと特殊なビブラートを伴う至難の曲で,型(所作)もゆったりとした中に微妙な変化がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「住吉」の意味・わかりやすい解説

住吉
すみよし

兵庫県神戸市東灘区の一地区。旧村名。 1950年神戸市に編入。地名の由来は住吉神社の所在地であることによる。六甲山地南斜面と,大阪湾にのぞむ住吉川扇状地から成り,芦屋市とともに阪神屈指の高級住宅地。第2次世界大戦後は山地の住宅地化と海浜の埋立てによる工業地化が進み変容が著しい。浜手の埋立て地に住吉浜町が誕生,六甲アイランドと六甲大橋で結ばれる。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「住吉」の解説

すみよし【住吉】

山形の日本酒。酒名は、大阪の住吉大社にちなみ命名。「金住吉」「銀住吉」は吉野杉の甲付樽で仕上げる特別純米酒。ほかに純米大吟醸酒、純米酒などがある。味わいは辛口。原料米は山田錦、美山錦、ササニシキなど。仕込み水は飯豊(いいで)山系の伏流水。蔵元の「樽平酒造」は元禄年間(1688~1704)創業。所在地は東置賜郡川西町大字中小松。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の住吉の言及

【海人】より


[系統と分布]
 日本民族の形成過程のなかで,かなり明瞭にあとづけられるのは南方系であり,インド・チャイニーズ系とインドネシア系に大別されよう。前者は,古典にみえる阿曇(あずみ)系およびその傍系である住吉系漁労民で,中国南部の閩越(びんえつ)地方の漂海民の系統をひき,東シナ海を北上し,山東半島から遼東半島,さらに朝鮮半島西海岸を南下し,多島海,済州島方面を経て玄界灘に達する経路をたどったと推定される。後者は,宗像(むなかた)系海人と呼ばれ,フィリピン付近海域から黒潮の流れに沿ってバシー海峡,台湾,沖縄,奄美諸島などサンゴ礁の発達した島嶼(とうしよ)を伝って南九州に達したと考えられ,古典にいう隼人(はやと)系に属する。…

【住江(住吉)】より

…歌枕。大阪市住吉区に墨之江町の名が残る。《古事記》の仁徳天皇条に〈墨江(すみのえ)之津を定め……〉とある。…

※「住吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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