槇田久生(読み)マキタ ヒサオ

20世紀日本人名事典 「槇田久生」の解説

槇田 久生
マキタ ヒサオ

昭和期の実業家 元・日本鋼管社長。



生年
明治42(1909)年12月13日

没年
平成1(1989)年4月24日

出生地
佐賀県武雄市

学歴〔年〕
東京商大(現・一橋大学)〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和49年〕,勲一等瑞宝章〔昭和58年〕

経歴
昭和9年日本鋼管に入社、32年取締役、40年常務、42年専務、43年副社長を経て、46年社長に就任するが、軽い脳血栓のため55年会長に退く。60年相談役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む