江戸名所緑曾我(読み)えどめいしょ みどりそが

世界大百科事典(旧版)内の江戸名所緑曾我の言及

【権八小紫物】より

…これに,時代にずれがあって関係ないはずの俠客幡随院長兵衛を結びつけて脚色したものが多い。その最初は1779年(安永8)5月江戸森田座の《江戸名所緑曾我(えどめいしよみどりそが)》で,7月江戸肥前座には人形浄瑠璃の《驪山比翼塚(めぐろひよくづか)》が登場した。その後初世並木五瓶作《思花街容性(おもわくくるわかたぎ)》,初世桜田治助作《契情吾妻鑑(けいせいあづまかがみ)》,4世鶴屋南北作《霊験曾我籬(れいげんそがのかみがき)》,福森久助作《比翼蝶春曾我菊(ひよくのちようはるのそがぎく)》(作中の清元《其小唄夢廓(そのこうたゆめもよしわら)》は今も流行)などを経て,1823年(文政6)3月江戸市村座の南北作《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》が決定版。…

※「江戸名所緑曾我」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む