渡辺大陸(読み)ワタナベ タイリク

20世紀日本人名事典 「渡辺大陸」の解説

渡辺 大陸
ワタナベ タイリク

大正・昭和期の野球選手 大洋球団総監督。



生年
明治34(1901)年7月8日

没年
昭和30(1955)年12月11日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
明治大学〔大正12年〕卒

経歴
神戸二中時代から剛球投手。明大に入り、1試合中に捕手がその速球を胸に当てて3人も交代したという。大正10年極東オリンピック予選でダイヤモンドに連敗したが、延長13回奪三振27の記録。11年春の六大学では早慶立に勝ちながら、法に敗れ初優勝を逸した。12年大阪毎日新聞入社、大毎球団から全京城に移り、昭和4年第3回都市対抗に初出場、準決勝で満州クラブに敗退。5年台湾総督府交通課に転じ、台北交通団主将兼投手で第7回まで連続出場。6年日米野球に3試合出場。戦後国民野球宇高レッドソックス、そのほかノンプロでも活躍。25年大洋ホエールズ総監督、29年学習院大監督などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺大陸」の解説

渡辺大陸 わたなべ-たいりく

1901-1955 大正-昭和時代の野球選手,監督。
明治34年7月8日生まれ。明大にはいり,東京六大学リーグで豪速球投手としてならす。大正12年大阪毎日新聞に入社。全京城,台北交通団とうつって都市対抗で活躍。昭和25年大洋ホエールズ総監督,のち学習院大監督。昭和30年12月11日死去。54歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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