牧ヶ花村(読み)まきがはなむら

日本歴史地名大系 「牧ヶ花村」の解説

牧ヶ花村
まきがはなむら

[現在地名]分水町牧ヶ花

南を西にし川が北東に流れ、東は佐善さぜん村。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に「槙鼻村」とみえ高二〇〇石四斗余。正保国絵図では幕府領に属する。のち村上藩領となり、貞享元年(一六八四)の同藩領分郷村高辻帳では「牧ケ花村」と記され高三七九石余。享保一三年(一七二八)の同高辻帳では高四九〇石五斗余と増加している。元禄一〇年(一六九七)の家数三七(うち水呑一二)・人数二七一(「渡部組高反別帳」小越文書)。文政七年(一八二四)の巡見使案内帳(原田文書)によれば田畑五四町四反八畝余、家数五八・寺一、人数三五七、馬一四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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