西蒲原郡(読み)にしかんばらぐん

日本歴史地名大系 「西蒲原郡」の解説

西蒲原郡
にしかんばらぐん

面積:三二七・四一平方キロ
分水ぶんすい町・弥彦やひこ村・岩室いわむろ村・吉田よしだ町・中之口なかのくち村・月潟つきがた村・潟東かたひがし村・味方あじかた村・黒埼くろさき町・西川にしかわ町・まき

県のほぼ中央西寄りにあり、西は日本海に面する。北は新潟市、東は白根しろね市・つばめ市、南は南蒲原郡中之島なかのしま村・三島さんとう寺泊てらどまり町に接する。南端で信濃川から西へ新信濃川(大河津分水)が分れて日本海へ注ぐ。北東に流れる信濃川本流から分れたなかくち川が郡の東端を北へ流れ、黒埼大野おおの付近で再び信濃川本流に合する。中央部を西にし川が川や排水路を合せながら北へ流れ、中央東寄りを北流する大通おおどおり川・飛落とびち川は西川町・巻町潟東村の境界近くで合流してしん川となり、やはり北へ流れる。郡東部はこれらの河川による沖積平野からなる。西部は角田かくだ(四八一・七メートル)多宝たほう(六三三・八メートル)弥彦(五八五・六メートル)国上くがみ(三一三・二メートル)と続く角田・弥彦山塊が南北に横たわる。角田山の北東部には沖積世砂丘が続く。東を北陸自動車道、中央を国道一一六号、西の海沿いを国道四〇二号(越後七浦シーサイドライン)が南北に縦貫する。海岸部は佐渡弥彦米山国定公園に指定され、弥彦山スカイライン、シーサイドラインなど観光道路が走っている。

〔原始・古代・中世〕

西の角田・弥彦山塊の山裾に縄文から古墳時代までの遺跡が集中する。とくに角田山裾の巻町域には縄文前期初頭の布目ぬのめ遺跡、中期から後期の松郷屋まつごうや遺跡、縄文後期の集落跡である上ン原うわんぱら遺跡、縄文から古墳時代に及ぶ大沢おおさわ遺跡などのほか、最北端の前方後円墳とされる菖蒲塚あやめづか古墳、隼太塚はやたづか古墳、前方後方墳山谷やまや古墳など、郡内の主要遺跡のほとんどがある。そのほかでは西川沿いの自然堤防上にある八―九世紀頃の集落跡中才なかさい遺跡(現西川町)、砂丘上にある縄文から平安期に及ぶ集落跡、円墳などからなる緒立おたて遺跡群(現黒埼町)、中世以降の火葬墳墓大墓おおはか遺跡(現同上)、弥彦・角田山塊南端に位置する幕島まくじま遺跡(現分水町)井田いだ丘陵の稲場塚いなばづか古墳(現弥彦村)がある。四―六世紀にかけての古墳が集中することや、それにかかわると推定される縄文期から古墳時代までの大きな集落跡がみられることなどから、当郡西部は素都乃奈美留命が国造に任命された「高志深江国」(国造本紀)とも考えられている。古代は蒲原かむはら郡に属した。弥彦山には「延喜式」神名帳記載の越後国五六座のうち唯一の名神大社である越後一宮弥彦神社が鎮座し、岩室村間瀬まぜ、巻町福井ふくい、分水町国上など海岸部と東山裾を中心に、弥彦神にまつわる旧地・伝承がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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