猿の惑星

デジタル大辞泉プラス 「猿の惑星」の解説

猿の惑星

①フランスの作家ピエール・ブールの長編SF(1963)。原題《〈仏〉La planète des singes、〈英〉Planet of the Apes》。人間と猿の立場が逆転してしまった惑星に迷い込んだ宇宙飛行士たちの驚愕の体験を描く。2001年、ティム・バートン監督で映画化(邦題『PLANET OF THE APES/猿の惑星』)。
②1968年製作のアメリカ映画。原題《Planet of the Apes》。①を原作とする。監督:フランクリン・J・シャフナー、出演:チャールトン・ヘストン、キム・ハンター、モーリスエバンス、ロディ・マクドウォールほか。
③アメリカ制作のテレビドラマ。原題は《Planet of the Apes》。放映はCBS局(1974年)。②の続編として制作された。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の猿の惑星の言及

【SF映画】より

…その中で注目すべきは,《海底二万哩》を撮ったフライシャー監督の《ミクロの決死圏》(1966)で,縮小された原子力潜航艇が,人体の血管内を進むイメージは,きたるべき《2001年宇宙の旅》の前ぶれともいえる。
[スペース・ファンタジーの誕生]
 1968年,20世紀フォックス社の《猿の惑星》と,MGMの《2001年宇宙の旅》によって,SF映画は新しい歴史の幕をあける。SFファンだけでなく,タイム・パラドックスを扱ったハードなSFながら一般のおとなや子どもにも人気を博し,通算5本のシリーズになるほどの大ヒット作となった《猿の惑星》によって,SF映画は興行的信用を獲得し,またSF作家A.C.クラークの脚本と,NASA(ナサ)の全面的協力による最新のテクノロジーを映像技術に導入した,スタンリー・キューブリック監督の70ミリ超大作《2001年宇宙の旅》は,SF映画として初めて世界的にベストテン映画としてランクされるという〈芸術的〉評価を得た。…

【20世紀フォックス[会社]】より

…さらに,4年の歳月と4000万ドルを費やしてローマで製作された空前の超大作《クレオパトラ》(1963)の興行的失敗が致命的な打撃をあたえることになった。56年に独立プロデューサーに転じて《史上最大の作戦》(1962)などを製作したザナックが62年から復帰して社長になったのもそんな事情からであり,その後《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)が映画史上の記録的なヒットとなり,《猿の惑星》(1968)といったヒット作もつづいたが,過信にもとづいた大作主義による《ドリトル先生不思議な旅》(1967),《スター!》(1968)が惨敗し,《パットン大戦車軍団》《M》(ともに1970)といったヒット作があったにもかかわらず,70年には7700万ドルの欠損を記録,71年にはザナックが引退し,不況のなかで首脳の追放と交代がつづいた。その間,テレビ映画を製作し,また《フレンチ・コネクション》(1971),《ポセイドン・アドベンチャー》(1972),《タワーリングインフェルノ》(1974),《オーメン》(1976),《スター・ウォーズ》《愛と喝采の日々》《ジュリア》(ともに1977),《結婚しない女》(1978)などのヒット作が生まれ,80年にはハリウッド史上初めての女社長として女優出身のシェリー・ランシングSherry Lansingが君臨し,《スター・ウォーズ 帝国の逆襲》(1980)などを製作して大ヒットを飛ばしたが,メジャー各社が大資本の配下におかれているなかでコングロマリットに吸収合併されずに〈プライベート・カンパニー〉(株主数が50人を超えず,株式が一般公開されていない会社)として孤軍奮闘してきた20世紀フォックスも,81年4月には,アメリカの石油王マービン・デービスに約8億ドルで〈身売り〉してユナイテッド・テレビジョン社に合併され,シェリー・ランシングの辞任ののち,83年1月,《ゲッタウェイ》や《大いなる勇者》(ともに1972)などの独立プロデューサー,ジョー・ワイザンJoe Wizanが社長に任命された。…

※「猿の惑星」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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