朝日日本歴史人物事典 「玉屋山三郎」の解説
玉屋山三郎
江戸中・後期の町人。江戸新吉原江戸町1丁目の妓楼角の玉屋(火焔玉屋)代々の主人。宝暦6(1756)年以後,大見世の大三浦屋の廃絶によって吉原の惣名主となり,抱えの遊女に多くの名妓を出したことで知られた。天保末年から弘化年間(1844~48)にかけて,それまで書肆の蔦屋重三郎が独占していた,吉原廓内の案内記ともいうべき『吉原細見』の刊行をめぐる紛争が起こったが,嘉永1(1848)年秋以降,細見株を手に入れてこれを収め,明治5(1872)年まで玉屋版として独占的に『吉原細見』を刊行した。
(宇田敏彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報