盛王丸塚(読み)もりおうまるづか

日本歴史地名大系 「盛王丸塚」の解説

盛王丸塚
もりおうまるづか

[現在地名]三次市向江田町 池田

向江田むこうえた町の東端池田いけだにあり、出雲国佐陀さだ(現松江市)城主塩冶興久の子盛王丸の墓と伝え、家人安富主膳の墓と伝える墓石と並び立つ。

尼子経久の三男塩冶興久は父に背いて敗れ、舅の山内直通を頼って備後国甲山こうやま(跡地は現庄原市)に逃れたが、経久の追及厳しく天文三年(一五三四)自害した(陰徳太平記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 刻字 末裔 跡地

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む