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石井琢朗 いしいただのり

知恵蔵miniの解説

石井琢朗

プロ野球選手。1970年8月25日栃木県生まれ。身長174センチ、体重78キロ。足利工業高等学校2年時に、夏の甲子園投手として出場。88年、ドラフト外で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に投手として入団。その後、内野手に転向し、98年には最多安打と盗塁王で38年振りのリーグ優勝と日本一に貢献した。2006年にはプロ野球史上34人目となる2000本安打を達成。09年からは広島東洋カープでプレーし、12年より1軍コーチを兼任。同7月に1軍の選手登録を外れ2軍降格となって以降も、1軍に同行して指導に当たっていたが、8月に今シーズン限りでの現役引退を表明した。出場2410試合、通算2430安打は共に歴代11位の記録(12年8月時点)。ベストナイン5回、ゴールデン・グラブ賞4回受賞。

(2012-08-29)

石井琢朗

日本のプロ野球選手。本名、石井忠徳。1970年8月25日生まれ、栃木県出身。174センチ、78キロ。右投げ左打ち、内野手。甲子園に投手として出場し、ドラフト会議では大学への進学が決まっていたため指名はなかったが、横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)のスカウトに見出され、88年、ドラフト外で入団。翌年ピッチャーとして早くも一軍試合デビュー。その後低迷し、93年に野手に転向。この時、登録名を石井琢朗とする。93年には盗塁王とゴールデングラブ賞三塁手部門のタイトルを獲得。95年、オールスターゲームに初出場。98年、通算4度目のゴールデングラブ賞を受賞。翌99年、通算1000本安打、1000試合出場、200盗塁を達成。2006年5月11日、史上34人目の2000本安打を達成。07年、連続フルイニング出場記録が339試合で途切れるなど成績低迷が目立ち、08年、引退勧告を受けるが、自由契約により広島東洋カープに入団、翌シーズンまで2年連続一軍でプレーし続けた。10年、プロ野球歴代単独10位の通算2372安打達成。12年、一軍コーチ兼任選手となり、同年9月、同シーズン限りの引退を表明した。

(2012-10-02)

出典|朝日新聞出版知恵蔵miniについて | 情報

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