日本大百科全書(ニッポニカ) 「石野伝一」の意味・わかりやすい解説
石野伝一
いしのでんいち
(1621―1693)
槍術(そうじゅつ)の離相(りそう)流の祖。父は加賀前田家の臣石野越中守氏満(えっちゅうのかみうじみつ)の次男弥平兵衛正直(まさなお)。初め一蔵といい、のち弥平兵衛氏利(うじとし)と称した。少年のころより槍術を好み、16歳のとき樫原(かしわら)五郎左衛門から鍵槍(かぎやり)の免許を得、ついで衣笠(きぬがさ)七兵衛について内蔵助(くらのすけ)流の直槍(すやり)を究め、紀州侯に招かれて五十人扶持(ぶち)を与えられた。のち藩命によって建孝流の達人水島見誉(けんにょ)に従って管槍(くだやり)を学んだが、わずか3年でその奥旨を明悟した。藩主頼宣(よりのぶ)はこれを激賞し、自ら創案した狭衣(さごろも)の秘事を氏利に伝授し、離相流の流名と、伝一の名を賜ったという。さらに1651年(慶安4)3月、江戸に召されて、その妙技を将軍家光(いえみつ)の上覧に供した。
[渡邉一郎]