朝日日本歴史人物事典 「福井弥五左衛門」の解説
福井弥五左衛門
江戸前期に大坂で活躍した歌舞伎役者,狂言作者。はじめ福井浅之丞と名乗り花車形(老女形)として舞台を勤めていたが,のち弥五左衛門と改名。なお姓は福井とされているが詳細については明らかでない。通説によると,寛文4(1664)年「非人の敵討」を書いて続き狂言(多幕物)を創始したとされる。後進の指導にも熱心で,当時名優といわれた藤田小平次,金子六右衛門らを育てた。
(今西晶子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報