日本歴史地名大系 「稲倉村」の解説 稲倉村ひなぐらむら 長野県:松本市本郷地区稲倉村[現在地名]松本市稲倉西流してきた女鳥羽(めとば)川は、三才山(みさやま)村を過ぎると、この村から南に曲がって流れる。小笠原氏の同族赤沢氏が領した。天正検地には九七四石八斗九合と高付けされている。慶長一九年(一六一四)では三才山村と合わせ一千六八六石五斗八升七合八勺となっている。寛永一九年(一六四二)の信州松本御領分村々高附帳には洞(ほら)・三才山の両村を分ち三六五石三斗一升三合。「信府統記」に「御朱印高三百六拾石八斗八升」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は四五五石四斗八合である。寛文年間(一六六一―七三)の水田は一五町五段五畝九歩、畑地は一四町三段三畝である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by