結城満藤(読み)ゆうき・みつふじ

朝日日本歴史人物事典 「結城満藤」の解説

結城満藤

生年生没年不詳
室町時代武将丹後(京都府)の国人で,もと古山姓を称す。通称十郎。左衛門尉,越後守。明徳の乱(1391)の直前,丹後守護山名満幸の謀反の動きを幕府に通報し,その功で尾張海東郡守護,次いで応永1(1394)年山城守護の大任を受ける。しかし守護層には足利義満の近習優遇策に対する不満も根強く,同3年には伊勢守護人事に関与したとして排斥され,一時没落の憂き目にあっている。同10年まで守護在任が知られるが,その後の動静は不詳。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城満藤」の解説

結城満藤 ゆうき-みつふじ

?-? 室町時代の武将。
将軍足利義満(よしみつ)の臣。勘解由左衛門尉(かげゆざえもんのじょう),越後守(えちごのかみ)を称す。明徳5年(1394)山城守護に任命される。義満の恩寵(おんちょう)をかさにきて専横の行為がおおく,諸大名反感をかい,一時は出家して善仏と称したが,のち復職した。本姓は古山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の結城満藤の言及

【丹後国】より

…さて山名氏は幕府帰参時に5ヵ国の分国を有していたが,康暦の政変,美濃の乱等幕府の内訌ごとに巧妙に立ち回り,ついに南北朝末期には隠岐を含む分国12ヵ国,侍所頭人兼帯という空前の大大名にのし上がり,将軍足利義満の牽制策に挑発されて明徳の乱を引き起こす。その張本人は当国守護の山名満幸といわれ,この叛乱をいち早く幕府に通報したのも当国の国人結城十郎満藤で,乱後の論功行賞で当国守護に隣国若狭の一色満範がなり,結城満藤は摂津欠郡守護に補された。しかし当国の守護支配はなお安定せず,満範の孫義貫は将軍足利義教から疎まれ,1440年(永享12)大和の陣中で幕命により暗殺され,当国守護は伊勢守護家の一族一色教親に与えられた。…

※「結城満藤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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