給父村(読み)きゆうぶむら

日本歴史地名大系 「給父村」の解説

給父村
きゆうぶむら

[現在地名]八開村給父

東はふじ村・江西えにし村、西は木曾川に面する小村。「徇行記」によれば、概高一三二石余はすべて藩家老竹腰山城守の給知。田は三町八反一畝余、畑は七町一畝余。「寛文覚書」に戸数二三、人数九二とある。「徇行記」に「此村落ハ濃州高洲街道通リニアリ、農屋ハ木曾川堤傍ニアリ、一村立ノ所ニテ竹木茂レリ、高ニ準シテハ戸口多ケレトモ少高貧村ナリ」とあり、支藩高須たかす(現岐阜県海津郡)への要路で、人馬の継立場であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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