能成寺跡(読み)のうじようじあと

日本歴史地名大系 「能成寺跡」の解説

能成寺跡
のうじようじあと

[現在地名]鎌倉市大町一丁目

「風土記稿」によれば、現大町おおまち四ッ角東方にある別願べつがん寺は古くは能成寺と称したといい、弘安五年(一二八二)五月、公忍が能成寺を時宗に改宗し、稲荷山超世院別願寺と寺名を改めたという。天文二一年(一五五二)六月一六日の北条家充行状写(県史三)に「能成寺分山中近江屋敷」がみえ、同地は天正三年(一五七五)二月一七日の浜名時成証文写(同書)にもみえて、夏秋六貫文の地で、秀芳から大巧だいぎよう寺譜代旦那の浜名時成に移り、時成が同年大巧寺に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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