菟田下県・菟田上県
うだのしもつあがた・うだのかみつあがた
「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年六月二三日条の神武東征神話に「遂に菟田下県に達る。因りて其の至りましし処を号けて菟田の穿邑穿邑、此をば于介知能務羅と云ふ。と曰ふ」とあり、下県は現菟田野町大字宇賀志付近に考定される。宇賀志は古く「于葛」「宇葛」とよばれた(→宇賀志村)。
延喜九年(九〇九)の民安占子家地処分状(内閣文庫所蔵文書)に「在上県二条給理里八道祖田坪中北辺字小南地者」とあり貞元三年(九七八)の県某檜牧地充行状案(東寺百合文書)に「一処字檜牧地 四至限東焼峯 限西比曾口 限南巒峯 限北下津尾 在于
郡上県二条肥伊里」とあるので上県は現榛原町大字檜牧付近に該当。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 