萱島流作新田(読み)かやしまりゆうさくしんでん

日本歴史地名大系 「萱島流作新田」の解説

萱島流作新田
かやしまりゆうさくしんでん

[現在地名]寝屋川市萱島(かやしま)〈信和(しんわ)町・東(ひがし)三丁目・本(ほん)町・南(みなみ)町〉・讃良西(さんらにし)町・南水苑(なんすいえん)町

北は木田(きだ)村、東は堀溝(ほりみぞ)村で寝屋川沿いに位置する。もと上島頭(かみしまがしら)・下島頭・上馬伏(かみまぶし)・巣本(すもと)(現門真市)、神田(かみだ)・木田・堀溝各村域にわたる寝屋川筋の中洲で、一二町七反余の葭苅場であった。天保郷帳には「萱島新田」と記され高七一石余。

享保七年(一七二二)の川面新開の奨励により、同二〇年南寺方(みなみてらかた)村(現守口市)の庄右衛門が開発に着手したが、難工事のため中止した。のち大坂の兵庫屋四郎兵衛が着手したが再び中止、まもなく開発権利を大坂南渡辺(みなみわたなべ)町(現東区)の清水織部へ譲渡した。のち市岡(いちおか)新田(現港区)の開発者長島七郎兵衛が着手し、元文三年(一七三八)完成した(宝暦九年再開発願「寝屋川市誌」所収)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報