日本歴史地名大系 「西興田庄」の解説
西興田庄
にしおきだのしよう
灯油免田を中心とした興福寺雑役免田である。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の葛下郡に「西興田庄十町五段二百四十歩 不輸免田十町五段 公田二百四十歩」とある。不輸免田の内訳と条里(括弧内は坪数)は、灯油免田一〇町が二九条一里(三)・二里(五)・三里(三)・二里(二。二里は史料どおり)、二八条二里(四)、二五条二里(一)、法興院田五段が二九条二里(一)である。公田畠の条里は、二九条三里(一)である。以上の条里によると、西興田庄の所在は、現大字
延久以後については「大乗院雑事記」文明一四年(一四八二)一〇月四日条の興福寺の「七堂灯油庄々」のうちに「西興田庄 本油三斗去年一斗六升八合納之」とあるので、興福寺七堂灯油免田として存続していることがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報