鎌糠城跡(読み)かまぬかじようあと

日本歴史地名大系 「鎌糠城跡」の解説

鎌糠城跡
かまぬかじようあと

南北朝期にみえる城名で、大原木おおわらぎの曹洞宗喜泉きせん院付近に比定する説もあるが未詳。康永元年(一三四二)一〇月八日の石塔義房書状(鬼柳文書)によれば、同月の三迫合戦において、義房は三迫の津久毛さんのはさまのつくも(当町平形にあったともされる)二迫の八幡にのはさまのやわた(栗駒町とされる)の間の「かまぬか」に向城(付城)を取り、義房側に付いた岡本重親の代官山田重教は一〇月八日「三迫鎌糠城」に馳参じている(同年一〇月一七日「岡本重親代山田重教着到状」秋田藩家蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む