八幡(読み)はちまん

精選版 日本国語大辞典 「八幡」の意味・読み・例文・類語

はちまん【八幡】

[1] 「はちまんじん(八幡神)」「はちまんだいぼさつ(八幡大菩薩)」などの略。また、八幡神をまつった「八幡宮(はちまんぐう)」の略としても用いる。
※栄花(1028‐92頃)松の下枝「八幡に詣させ給て」
[2] 〘名〙
① 銭一五文をいう隠語。
※浮世草子・沖津白波(1702)五「てんと八幡八十匁の路銀遣残てわづか八幡(十五文の事也)」
② (蒟蒻(こんにゃく)を材料に用いるところから、近江八幡(おうみはちまん)に産する八幡蒟蒻を略したもの) 関東煮(かんとうだき)。おでん。露天商人の間でいう。
[3] 〘副〙 (本来は、八幡神に祈誓する意。八幡の神に掛けての意)
① うそ、いつわりのない意。本当に。まことに。まったく。真実。実際。
※浮世草子・好色一代男(1682)七「八まん気に入申候」
② (下に否定の語を伴って) 決して。断じて。どうあっても。
※浮世草子・武道伝来記(1687)二「八幡のがさじと刀ぬきかさして」
③ (八幡に願う意で、感動詞のように用いて) 是非とも。どうぞ。かならず。
※三体詩幻雲抄(1527)「此詩は悲而如泣也八幡ぞ天もかがみたまえ」

やわた やはた【八幡】

[1]
[一] 長野県佐久市の地名。千曲川に沿い、江戸時代は中山道塩名田と望月の間の宿駅。
[二] 長野県千曲市西部の地名。
[三] 千葉県市川市の地名。「八幡の藪知らず」で知られる。
[四] 京都府南西部の地名。木津川・宇治川・桂川が合流し、淀川と名をかえる南岸にある。中世以降、石清水八幡宮の門前町、淀川水運の河港として栄えた。京阪の近郊住宅都市。昭和五二年(一九七七)市制。
[2] 〘名〙 「やわたぐろ(八幡黒)」の略。
※歌舞伎・桜姫東文章(1817)五幕「八幡(ヤハタ)の鼻緒に欅の引摺り」

やはた【八幡】

[一] 福岡県北九州市の地域名。明治三四年(一九〇一八幡製鉄所(現、新日本製鉄)の建設後急速に発展、北九州工業地帯の主要部となる。大正六年(一九一七)市制。昭和三八年(一九六三)門司・小倉・戸畑・若松の各市と合併して北九州市を設置、八幡区となる。同四九年八幡東・八幡西の二区に分割。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「八幡」の意味・読み・例文・類語

はちまん【八×幡】

[名]八幡宮」「八幡神」の略。
[副]
《八幡神に誓って、の意から》断じて。確かに。誓って。
「―忘れは致さぬ」〈紅葉・色懺悔〉
「―我らも心底変はらぬ」〈浄・鑓の権三
(八幡神に願うの意で、感動詞のように用いて)ぜひとも。どうぞ。必ず。
「―一夜のお情あれ」〈浄・嫗山姥
[類語]神社やしろみや神殿神廟しんびょう社殿廟宇びょうう神宮鎮守ちんじゅほこら大社稲荷本社摂社末社祠堂

やわた〔やはた〕【八幡】

京都府南西部の市。石清水いわしみず八幡宮の門前町、淀川水運の河港として発達。住宅地化が著しい。八幡ゴボウの産地として知られた。人口7.4万(2010)。
千葉県市川市の地名。葛飾八幡宮かつしかはちまんぐうがある。商業地

ばはん【×幡】

倭寇わこうが船旗に書いた八幡あるいは八幡大菩薩の神号を、「ばはん」と読んだところから生じた称ともいう》
倭寇の異称。
戦国時代、外国に対する海賊行為のこと。
江戸時代、国禁を犯して外国へ渡ったり通商貿易をしたりしたこと。抜け荷買い。
八幡船ばはんせん」の略。

やはた【八幡】

福岡県北九州市西部の地名。明治期に八幡製鉄所が開設されて以来、工業地として発展。八幡市から昭和38年(1963)北九州市八幡区となり、のち東西に分区。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡[市] (やわた)

京都府南部の市。1977年市制。人口7万4227(2010)。京都盆地を流れる木津(きづ)川,宇治川,桂川が合流して淀川となり,大阪平野へ流れ出る出口の南岸に位置し,市域は男山丘陵とその東に広がる木津川左岸の沖積平野とから成る。市街の中心は,9世紀中葉に男山に鎮座した石清水(いわしみず)八幡宮の門前町に始まる。町場の形成は平安末期から始まり,中世には神人(じにん)の座のほかに絹座,紺座,軽物座など多数の商人の座が成立していた。男山山麓の北と東に形成された門前町の八幡町(八幡惣町)は科手(しなで),常盤(ときわ),山路,金振(かなぶり)の4郷(内四郷)からなり,東に広がる川口など外四郷とあわせて八幡八郷とも八幡荘とも呼ばれた。1600年(慶長5)には八幡惣町は総家数1085,そのほか八幡宮の山下寺庵が130あり,江戸後期に至ってもさほど増加はみられない。八幡宮社士や神人も居住し,宿屋,両替屋,酒屋もあった。北西山麓の橋本は淀川水運の河港,宿場町としてにぎわった。橋本渡しは元来,石清水八幡宮への大山崎油神人(大山崎油座)の灯油エゴマ運送のために設けられた渡しであった。

 市域東部の平野は低湿で水害を受けやすく,集落は微高地上に位置している。水田の中に多くの島畑が見られ,果樹栽培が行われる。丘陵上ではモウソウチクが栽培され,たけのこの産が多い。また大規模な住宅団地が造成され,市の人口は1970年前後から急激に増加している。男山丘陵の南東には,〈寛永の三筆〉の一人で茶人としても知られた松花堂昭乗ゆかりの松花堂(史)がある。もと八幡宮の宿院泉坊のかたわらに建立されたもの。市域南部,大阪府枚方(ひらかた)市との境にある洞ヶ峠は筒井順慶日和見の俗説で著名。国道1号線,京阪本線が通じている。
執筆者:

八幡 (はちまん)

近江国蒲生郡の近世以降の町名。現在は滋賀県近江八幡市。湖東平野にあり,北は琵琶湖に面する。1585年(天正13)豊臣秀吉により近江20万石を与えられた甥の秀次は,標高283m余の八幡山に築城,山麓に安土の城下町を移し,また諸役免除等の内容を有す八幡山下町掟書(はちまんさんげまちおきてがき)13ヵ条を発し,城下町経営を進めた。90年秀次は岐阜竹ヶ鼻に転封,京極高次が2万8000石をもって八幡城主に封じられたが,95年(文禄4)秀次の自刃により,縁故のあった八幡城は廃城となり,高次も大津へ移った。しかし町は八幡町と公称され,関ヶ原の戦後幕府領となったが,1698年(元禄11)まず新町以西が旗本朽木(くつき)氏領に,1708年(宝永5)には全町が朽木氏領,1826年(文政9)幕府領,42年(天保13)尾張藩領,54年(安政1)再度幕府領と支配が変遷した。

 初期の町政は明らかではないが,代官の任命した2~3人の総年寄の合議制によって運営された。町内の町数は幕末64~65ヵ町を数えた。また八幡浦は近世の湖上交通の要所で,大津・堅田とならび湖上三親浦と称され,今日も残る堀割(運河)によって町の商工業活動が展開した。1647年(正保4)八幡神社に渡海船額を奉納して知られる海外進出の西村太郎右衛門,近世初期松前の漁場を開いた岡田八十次,松前藩の御用商人西川伝右衛門,元和年間(1615-24)江戸日本橋に開店した西川甚五郎,西川利右衛門に代表される商人のほか,大坂,京,名古屋等に進出する商人たちは,近江商人の典型であった。元禄~享保年間(1688-1736)の戸数は1500を数え,諸商人が過半という様子であった。近世中期以降,八幡町を中心として近在を含め蚊帳,畳表,灯心などの主要特産物が生産され,それを背景に,ほぼ30種の株仲間が組織された。1954年近江八幡市となる。
執筆者:

八幡 (やはた)

福岡県北九州市西部の地区名。1917年市制施行の八幡市が,63年門司など4市と合体して北九州市となったため,八幡区として区制を施行し,74年八幡東区,八幡西区に分かれた。人口は東区7万1801,西区25万7097(2010)。洞海湾の南岸を占め,背後に皿倉山(622m)などの山がそびえ,西部および北東部に低い第三紀層丘陵地が起伏する。宿場町で港もあった黒崎を除いて明治中期までは寒村にすぎなかったが,1897年官営八幡製鉄所(現,新日本製鉄)の建設が着工されてから急速に発展した。製鉄所が操業を開始した1901年以後,戦争のたびごとに拡張を重ね,化学,金属加工などの関連諸工業も発達し,北九州工業地帯の中核を形成した。現在,埋立ての進んだ洞海湾岸一帯には鉄鋼をはじめ,化学,窯業,電気機械などの大工場群と下請の中小工場群が建ち並んでいる。鹿児島本線枝光駅,八幡駅のある東区が中心部をなしてきたが,近年は製鉄所の合理化などによって人口の減少が著しい。代わって西区の黒崎が鹿児島本線,筑豊電鉄線,国道3号,200号線が通じるなど交通の便がよいため北九州市の副都心として発展している。西端に鉄道交通の基地の折尾,南部に旧炭鉱町の香月(かつき)がある。市街地背後の帆柱自然公園は,皿倉山頂へのケーブルカーや見晴しのよいハイキングコースがあり,北九州国定公園に含まれる。
執筆者:

八幡 (はちまん)

八幡(山形) (やわた)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡
やわた

山形県北西部,酒田市北部の旧町域。庄内平野の北部から出羽山地にかけて広がり,北は秋田県に接する。大部分は出羽山地の山岳・丘陵地帯で,日向川 (にっこうがわ) と荒瀬川の流域に庄内平野の平坦地が開ける。 1954年一條村,観音寺村,大沢村,日向村が合体し町制。 2005年酒田市,松山町,平田町と合体して酒田市となった。地名は市条八幡神社にちなむ。中心集落の観音寺は中世に城下町として発展。山林面積が広く,製材およびナメコの栽培に重きがおかれ,樹園地も増加。鳥海山 (2236m) 南麓の緩傾斜地は,大台野牧場といわれウシの放牧地に利用。湯ノ台温泉,鶴間池,玉簾の滝などの景勝地がある。平安時代の遺構である堂の前遺跡は国指定史跡。鳥海山の南東麓一帯は鳥海国定公園に属する。

八幡
はちまん

岐阜県中西部,長良川の上流域,支流の吉田川が合流する地点にある地区。旧町名。 1889年町制。 1954年相生,川合,口明方,西和良の4村と合体。 2004年3月白鳥町はじめ2町4村と合併し,郡上市となった。永禄2 (1559) 年遠藤盛数が築城して以来城下町として発展。飛騨,美濃,越前を結ぶ交通の要衝であった。製材業が発達し,木工玩具が輸出される。毎年8月 13日から4日間徹夜で行なわれる盆踊りの「郡上踊 (ぐじょうおどり) 」は有名で,「郡上八幡」の名で知られる観光地。オオサンショウウオの生息地は天然記念物に指定されている。区域の一部は奥長良川県立自然公園に属する。かつての街道筋に国道 156号線などが集まる交通の要地で,長良川に沿って長良川鉄道が通る。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「八幡」の解説

はちまん【八幡】

鹿児島の芋焼酎。伝統的な甕仕込みで醸す。仕込み水は飯倉山の湧水。白麹を使用し、常圧蒸留で造る。原料はコガネセンガン、米麹。アルコール度数25%、35%。蔵元の「高良酒造」は明治40年(1907)創業。所在地は南九州市川辺町宮。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

事典・日本の観光資源 「八幡」の解説

八幡

(長野県佐久市)
中山道六十九次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「八幡」の解説

八幡

鹿児島県、高良酒造有限会社が製造する芋焼酎。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の八幡の言及

【郡上藩】より

…美濃国郡上郡八幡に藩庁を置いた譜代中小藩。同郡と隣国越前の大野郡に所領をもつ。…

【公害】より

…大阪市の公害対策は戦争によって中断するが,戦前の先駆的な公共部門による公害対策といえよう。 第3の典型例は,八幡における八幡製鉄所の公害であろう。八幡製鉄所は官営であり,その公共性からいって,民間企業に比べてより進んだ公害対策をとらねばならぬはずであるが,実際には反対で,お上の権力で,〈企業城下町〉ともいうべき市民の発言が困難な都市をつくり上げた。…

※「八幡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android