八幡(読み)ハチマン

デジタル大辞泉 「八幡」の意味・読み・例文・類語

はちまん【八×幡】

[名]八幡宮」「八幡神」の略。
[副]
《八幡神に誓って、の意から》断じて。確かに。誓って。
「―忘れは致さぬ」〈紅葉・色懺悔〉
「―我らも心底変はらぬ」〈浄・鑓の権三
(八幡神に願うの意で、感動詞のように用いて)ぜひとも。どうぞ。必ず。
「―一夜のお情あれ」〈浄・嫗山姥
[類語]神社やしろみや神殿神廟しんびょう社殿廟宇びょうう神宮鎮守ちんじゅほこら大社稲荷本社摂社末社祠堂

やわた〔やはた〕【八幡】

京都府南西部の市。石清水いわしみず八幡宮の門前町、淀川水運の河港として発達。住宅地化が著しい。八幡ゴボウの産地として知られた。人口7.4万(2010)。
千葉県市川市の地名。葛飾八幡宮かつしかはちまんぐうがある。商業地。

ばはん【×幡】

倭寇わこうが船旗に書いた八幡あるいは八幡大菩薩の神号を、「ばはん」と読んだところから生じた称ともいう》
倭寇の異称。
戦国時代、外国に対する海賊行為のこと。
江戸時代、国禁を犯して外国へ渡ったり通商貿易をしたりしたこと。抜け荷買い。
八幡船ばはんせん」の略。

やはた【八幡】

福岡県北九州市西部の地名。明治期に八幡製鉄所が開設されて以来、工業地として発展。八幡市から昭和38年(1963)北九州市八幡区となり、のち東西に分区。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「八幡」の意味・読み・例文・類語

はちまん【八幡】

  1. [ 1 ]はちまんじん(八幡神)」「はちまんだいぼさつ(八幡大菩薩)」などの略。また、八幡神をまつった「八幡宮(はちまんぐう)」の略としても用いる。
    1. [初出の実例]「八幡に詣させ給て」(出典:栄花物語(1028‐92頃)松の下枝)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. 銭一五文をいう隠語。
      1. [初出の実例]「てんと八幡八十匁の路銀遣残てわづか八幡(十五文の事也)」(出典:浮世草子・沖津白波(1702)五)
    2. ( 蒟蒻(こんにゃく)を材料に用いるところから、近江八幡(おうみはちまん)に産する八幡蒟蒻を略したもの ) 関東煮(かんとうだき)。おでん。露天商人の間でいう。
  3. [ 3 ] 〘 副詞 〙 ( 本来は、八幡神に祈誓する意。八幡の神に掛けての意 )
    1. うそ、いつわりのない意。本当に。まことに。まったく。真実。実際。
      1. [初出の実例]「八まん気に入申候」(出典:浮世草子・好色一代男(1682)七)
    2. ( 下に否定の語を伴って ) 決して。断じて。どうあっても。
      1. [初出の実例]「八幡のがさじと刀ぬきかさして」(出典:浮世草子・武道伝来記(1687)二)
    3. ( 八幡に願う意で、感動詞のように用いて ) 是非とも。どうぞ。かならず。
      1. [初出の実例]「此詩は悲而如泣也八幡ぞ天もかがみたまえ」(出典:三体詩幻雲抄(1527))

ばはん【八幡・番舶・奪販】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 倭寇(わこう)のこと。
    1. [初出の実例]「自然下々ばはんに罷渡族可有之候之間、堅可被停止候」(出典:島津家文書‐(慶長四年)(1599)四月朔日・豊臣氏五大老連署状)
  3. 戦国時代から江戸時代、海賊行為のこと。ぱはん。
    1. [初出の実例]「去春其方自領号商船、テックヮイト申唐人為大将、八幡に罷越、唐船之荷物令海賊候由」(出典:松浦文書‐天正一七年(1589)一〇月五日附)
  4. 国禁を犯して外国に渡ること。また、ひそかに海外に渡って貿易を行なうこと。抜け荷を売買すること。
    1. [初出の実例]「阿蘭陀人へ申渡御書付二通写〈略〉覚〈略〉一、日本渡海之唐船ばはん仕間敷事」(出典:随筆・一話一言(1779‐1820頃)三〇)
  5. ばはんせん(八幡船)」の略。〔文明本節用集(室町中)〕
  6. 江戸時代、長崎に入港した唐船から積荷を陸揚げすること。
    1. [初出の実例]「旗に八幡の二字を書して印とす。故に今に至りて、唐船の荷物を揚る事をバハンといふ」(出典:通航一覧附録(1853)二一)

八幡の補助注記

はその乗船に八幡大菩薩または八幡の船印を立てたために中国人が呼んだといわれているが確証はなく、海賊行為を意味する「ばはん」に対する後世の付会か。


やわたやはた【八幡】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 長野県佐久市の地名。千曲川に沿い、江戸時代は中山道塩名田と望月の間の宿駅。
    2. [ 二 ] 長野県千曲市西部の地名。
    3. [ 三 ] 千葉県市川市の地名。「八幡の藪知らず」で知られる。
    4. [ 四 ] 京都府南西部の地名。木津川・宇治川・桂川が合流し、淀川と名をかえる南岸にある。中世以降、石清水八幡宮の門前町、淀川水運の河港として栄えた。京阪の近郊住宅都市。昭和五二年(一九七七)市制。
    5. [ 五 ]いわしみずはちまんぐう(石清水八幡宮)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙やわたぐろ(八幡黒)」の略。
    1. [初出の実例]「八幡(ヤハタ)の鼻緒に欅の引摺り」(出典:歌舞伎・桜姫東文章(1817)五幕)

やはた【八幡】

  1. [ 一 ] 福岡県北九州市の地域名。明治三四年(一九〇一)八幡製鉄所(現、新日本製鉄)の建設後急速に発展、北九州工業地帯の主要部となる。大正六年(一九一七)市制。昭和三八年(一九六三)門司・小倉・戸畑・若松の各市と合併して北九州市を設置、八幡区となる。同四九年八幡東・八幡西の二区に分割。
  2. [ 二 ]やわた(八幡)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡(岐阜県)
はちまん

岐阜県中西部、郡上郡(ぐじょうぐん)にあった旧町名(八幡町(ちょう))。現在は郡上市の中央から南部を占める一地域。郡上八幡ともいう。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)川合(かわあい)、相生(あいおい)、口明方(くちみょうがた)、西和良(にしわら)の4村と合併。2004年(平成16)大和(やまと)、白鳥(しろとり)の2町、高鷲(たかす)、美並(みなみ)、明宝(めいほう)、和良(わら)の4村と合併、市制施行して郡上市となる。旧八幡町は、東は下呂(げろ)、南は美濃(みの)・関・岐阜、北東は高山の各市、北は白川村・福井県へ通じる交通路が開けた、観光、商業の町である。長良川鉄道(ながらがわてつどう)と国道156号、256号、472号、東海北陸自動車道が通じ、郡上八幡インターチェンジがある。おもな町並みは、郡上藩の城下町に由来し、長良川と支流吉田川の合流点に発達している。木製玩具の産地として有名。名水として知られる宗祇(そうぎ)水は、室町時代の連歌師、飯尾宗祇が愛用したことにちなんでつけられた名称で、名水百選に選定されている。有名な郡上踊(国指定重要無形民俗文化財)は、7~9月の33夜を川崎・春駒(はるこま)・三百など10種類の郡上節にあわせて踊られる。殿町には、旧八幡町の歴史や郡上踊を紹介する「郡上八幡博覧館」がある。また、1969年(昭和44)に安久田(あくだ)で発見された大滝鍾乳洞(しょうにゅうどう)には多くの観光客が訪れる。近くに、縄文時代の住居跡が発見された縄文洞もある。

[上島正徳]

『太田成和著『郡上八幡町史』全2巻(1960~1961・八幡町)』『『郡上八幡町史 史料編』全6巻・補遺巻(1985~2004・八幡町)』



八幡(福岡県)
やはた

福岡県北九州市西部に位置する重工業地区。1917年(大正6)市制、1963年(昭和38)門司(もじ)、小倉(こくら)、若松(わかまつ)、八幡、戸畑(とばた)の5市合併による北九州市設置により区制施行して同市八幡区となり、1974年(昭和49)八幡東、八幡西の2区に分区。明治までは宿場のあった黒崎、木屋瀬(こやのせ)を除けば寒村地域であったが、1901年(明治34)官営八幡製鉄所(のち新日本製鉄。現、日本製鉄九州製鉄所八幡地区)が操業を開始してから鉄鋼業の町として急速に発展、コークス、耐火れんがセメント、製鋼などの関連工業の大工場や下請の中小工場が洞海湾(どうかいわん)岸に立地して北九州工業地帯の主要部を形成、第二次世界大戦前の最盛期には日本の鉄鋼生産の過半を占めた。第二次世界大戦により大きな打撃を受けたが、国の産業復興のための保護政策によって復興、日本製鉄をはじめ三菱(みつびし)化学(現、三菱ケミカル)、安川電機、黒崎播磨(はりま)、三菱マテリアルなどの大工場群が埋立地に立地している。しかし、1978年(昭和53)新日鉄が八幡地区での高炉を廃止するなど地盤低下は否めない。その工場跡地には1990年(平成2)、宇宙体験型テーマパーク「スペースワールド」が開設された(2017年末閉園)。また、近くに自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)、環境ミュージアムがある。八幡東区は日本の近代製鉄発祥の地で、JR鹿児島(かごしま)本線以南の丘陵地にかけて社宅などが並ぶ住宅地区であるが、商業機能はあまり充実していない。そのため、八幡東田地区総合開発、八幡駅前再開発事業が進められている。山頂までケーブルカーが通じる皿倉(さらくら)山は八幡市街が一望できる景勝地で、帆柱(ほばしら)自然公園として、河内(かわち)貯水池、畑(はた)貯水池(八幡西区)とともに北九州市民のレクリエーション適地となっている。八幡西区は洞海湾奥まで工業地帯が続くが、黒崎は小倉北区の魚(うお)町と並ぶ北九州市の二大商圏の中核として発展、1979年の駅前再開発ビル建設によりいっそう勢力を拡大している。南西部を中心に都市近郊型の農業も営まれているが、筑豊電気鉄道(ちくほうでんきてつどう)や国道200号沿線を中心に宅地化が著しい。西部の折尾(おりお)も鹿児島本線とJR筑豊本線の交差する交通要地として宅地化が目覚ましく、教育施設の立地も多く、「北九州学術研究都市」として整備が進んでいる。南部にある木屋瀬は長崎街道の宿場町で、2001年に長崎街道木屋瀬宿記念館が開館している。

[石黒正紀]

『『八幡市史』(1963・八幡市)』


八幡(市)
やわた

京都府南西部にある市。1977年(昭和52)市制施行。宇治(うじ)川、桂(かつら)川、木津(きづ)川の3川が合流して淀(よど)川となり、京都盆地から大阪平野に流下する狭隘(きょうあい)部の南岸に位置し、西境は男山(おとこやま)(143メートル)の丘陵を隔てて大阪府枚方(ひらかた)市と接する。京阪電鉄本線、国道1号、枚方バイパス、第二京阪道路が通じる。淀川を挟んで対岸の天王(てんのう)山(270メートル)と相対する男山には石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)があり、八幡町はその門前町として発達した。山上までケーブルカーが通じる。八幡宮本社は国宝。八幡宮(摂社若宮社本殿、東総門など8棟)、五輪塔などは国指定重要文化財。境内は国指定史跡。東麓にある松花堂およびその跡は国指定史跡。3川合流点に位置する橋本は、伏見(ふしみ)と大坂を結ぶ京街道の宿場であった。南部の枚方市との境界には山崎の戦いの際、筒井順慶(つついじゅんけい)が形勢をうかがったという洞ヶ峠(ほらがとうげ)があり、山麓(さんろく)に達磨寺(だるまでら)の名で知られた古刹(こさつ)の円福寺がある。木造達磨大師坐像(ざぞう)は国指定重要文化財。そのほか、航空関係の飛行神社がある。京都と大阪の中間にあるため、宅地化が著しく、1970年から1975年にかけて、人口は2倍以上に増加した。面積24.35平方キロメートル、人口7万0433(2020)。

織田武雄



八幡(山形県)
やわた

山形県北西部、飽海郡(あくみぐん)にあった旧町名(八幡町(まち))。現在は酒田市の北東部を占める地域。旧八幡町は、1954年(昭和29)一条、観音寺(かんのんじ)、大沢、日向(にっこう)の4村が合併して成立。2005年(平成17)松山、平田の2町とともに酒田市に合併。旧町名は、877年(元慶1)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から市条に勧請(かんじょう)された八幡神社に由来する。地域の大部分は、鳥海(ちょうかい)山南麓(ろく)とそれに続く出羽(でわ)山地で占められ、西部は山地を横断して西流する日向川などによって形成された沖積地の庄内(しょうない)平野である。国道344号と345号が交差する。大型機械の導入など機械化の進んだ稲作農業や、県下有数の造林率を誇る林業、製材業が盛ん。八幡神社の近くにはキャンプ場を備えた八森自然公園や八森温泉がある。北部一帯の高原は鳥海国定公園に属し、鳥海高原家族旅行村の整備など観光開発に力を入れている。湯の台温泉もある。堂の前遺跡(どうのまえいせき)は平安時代の寺院跡と推定され国の史跡に指定されている。

[中川 重]

『『八幡町史』2巻(1981、1988・八幡町)』


八幡(千葉県)
やわた

千葉県北西部、市川市(いちかわし)の一地区。旧八幡町。中世、八幡荘(しょう)に属し、千葉氏の支配下にあったといわれる。葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)は武士の信仰が厚く、境内の千本イチョウは樹齢1200年余で国指定の天然記念物。森に入ると出られなくなるという八幡の藪不知(やぶしらず)(八幡の不知森(もりしらず))は、平将門(まさかど)が討たれた場所という伝承があり、その祟(たた)りともいわれる。JR総武(そうぶ)本線および都営地下鉄新宿線の本八幡(もとやわた)駅や京成電鉄京成八幡駅があり、住宅地が形成され、商業中心地区をなしている。

[山村順次]


八幡(やわた)
やわた

福岡県北九州市西部の重工業地区。正しくは「やはた」と読む。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡[市] (やわた)

京都府南部の市。1977年市制。人口7万4227(2010)。京都盆地を流れる木津(きづ)川,宇治川,桂川が合流して淀川となり,大阪平野へ流れ出る出口の南岸に位置し,市域は男山丘陵とその東に広がる木津川左岸の沖積平野とから成る。市街の中心は,9世紀中葉に男山に鎮座した石清水(いわしみず)八幡宮の門前町に始まる。町場の形成は平安末期から始まり,中世には神人(じにん)の座のほかに絹座,紺座,軽物座など多数の商人の座が成立していた。男山山麓の北と東に形成された門前町の八幡町(八幡惣町)は科手(しなで),常盤(ときわ),山路,金振(かなぶり)の4郷(内四郷)からなり,東に広がる川口など外四郷とあわせて八幡八郷とも八幡荘とも呼ばれた。1600年(慶長5)には八幡惣町は総家数1085,そのほか八幡宮の山下寺庵が130あり,江戸後期に至ってもさほど増加はみられない。八幡宮社士や神人も居住し,宿屋,両替屋,酒屋もあった。北西山麓の橋本は淀川水運の河港,宿場町としてにぎわった。橋本渡しは元来,石清水八幡宮への大山崎油神人(大山崎油座)の灯油エゴマ運送のために設けられた渡しであった。

 市域東部の平野は低湿で水害を受けやすく,集落は微高地上に位置している。水田の中に多くの島畑が見られ,果樹栽培が行われる。丘陵上ではモウソウチクが栽培され,たけのこの産が多い。また大規模な住宅団地が造成され,市の人口は1970年前後から急激に増加している。男山丘陵の南東には,〈寛永の三筆〉の一人で茶人としても知られた松花堂昭乗ゆかりの松花堂(史)がある。もと八幡宮の宿院泉坊のかたわらに建立されたもの。市域南部,大阪府枚方(ひらかた)市との境にある洞ヶ峠は筒井順慶日和見の俗説で著名。国道1号線,京阪本線が通じている。
執筆者:


八幡 (はちまん)

近江国蒲生郡の近世以降の町名。現在は滋賀県近江八幡市。湖東平野にあり,北は琵琶湖に面する。1585年(天正13)豊臣秀吉により近江20万石を与えられた甥の秀次は,標高283m余の八幡山に築城,山麓に安土の城下町を移し,また諸役免除等の内容を有す八幡山下町掟書(はちまんさんげまちおきてがき)13ヵ条を発し,城下町経営を進めた。90年秀次は岐阜竹ヶ鼻に転封,京極高次が2万8000石をもって八幡城主に封じられたが,95年(文禄4)秀次の自刃により,縁故のあった八幡城は廃城となり,高次も大津へ移った。しかし町は八幡町と公称され,関ヶ原の戦後幕府領となったが,1698年(元禄11)まず新町以西が旗本朽木(くつき)氏領に,1708年(宝永5)には全町が朽木氏領,1826年(文政9)幕府領,42年(天保13)尾張藩領,54年(安政1)再度幕府領と支配が変遷した。

 初期の町政は明らかではないが,代官の任命した2~3人の総年寄の合議制によって運営された。町内の町数は幕末64~65ヵ町を数えた。また八幡浦は近世の湖上交通の要所で,大津・堅田とならび湖上三親浦と称され,今日も残る堀割(運河)によって町の商工業活動が展開した。1647年(正保4)八幡神社に渡海船額を奉納して知られる海外進出の西村太郎右衛門,近世初期松前の漁場を開いた岡田八十次,松前藩の御用商人西川伝右衛門,元和年間(1615-24)江戸日本橋に開店した西川甚五郎,西川利右衛門に代表される商人のほか,大坂,京,名古屋等に進出する商人たちは,近江商人の典型であった。元禄~享保年間(1688-1736)の戸数は1500を数え,諸商人が過半という様子であった。近世中期以降,八幡町を中心として近在を含め蚊帳,畳表,灯心などの主要特産物が生産され,それを背景に,ほぼ30種の株仲間が組織された。1954年近江八幡市となる。
執筆者:


八幡 (やはた)

福岡県北九州市西部の地区名。1917年市制施行の八幡市が,63年門司など4市と合体して北九州市となったため,八幡区として区制を施行し,74年八幡東区,八幡西区に分かれた。人口は東区7万1801,西区25万7097(2010)。洞海湾の南岸を占め,背後に皿倉山(622m)などの山がそびえ,西部および北東部に低い第三紀層丘陵地が起伏する。宿場町で港もあった黒崎を除いて明治中期までは寒村にすぎなかったが,1897年官営八幡製鉄所(現,新日本製鉄)の建設が着工されてから急速に発展した。製鉄所が操業を開始した1901年以後,戦争のたびごとに拡張を重ね,化学,金属加工などの関連諸工業も発達し,北九州工業地帯の中核を形成した。現在,埋立ての進んだ洞海湾岸一帯には鉄鋼をはじめ,化学,窯業,電気機械などの大工場群と下請の中小工場群が建ち並んでいる。鹿児島本線枝光駅,八幡駅のある東区が中心部をなしてきたが,近年は製鉄所の合理化などによって人口の減少が著しい。代わって西区の黒崎が鹿児島本線,筑豊電鉄線,国道3号,200号線が通じるなど交通の便がよいため北九州市の副都心として発展している。西端に鉄道交通の基地の折尾,南部に旧炭鉱町の香月(かつき)がある。市街地背後の帆柱自然公園は,皿倉山頂へのケーブルカーや見晴しのよいハイキングコースがあり,北九州国定公園に含まれる。
執筆者:


八幡 (はちまん)


八幡(山形) (やわた)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡
やわた

山形県北西部,酒田市北部の旧町域。庄内平野の北部から出羽山地にかけて広がり,北は秋田県に接する。大部分は出羽山地の山岳・丘陵地帯で,日向川 (にっこうがわ) と荒瀬川の流域に庄内平野の平坦地が開ける。 1954年一條村,観音寺村,大沢村,日向村が合体し町制。 2005年酒田市,松山町,平田町と合体して酒田市となった。地名は市条八幡神社にちなむ。中心集落の観音寺は中世に城下町として発展。山林面積が広く,製材およびナメコの栽培に重きがおかれ,樹園地も増加。鳥海山 (2236m) 南麓の緩傾斜地は,大台野牧場といわれウシの放牧地に利用。湯ノ台温泉,鶴間池,玉簾の滝などの景勝地がある。平安時代の遺構である堂の前遺跡は国指定史跡。鳥海山の南東麓一帯は鳥海国定公園に属する。

八幡
はちまん

岐阜県中西部,長良川の上流域,支流の吉田川が合流する地点にある地区。旧町名。 1889年町制。 1954年相生,川合,口明方,西和良の4村と合体。 2004年3月白鳥町はじめ2町4村と合併し,郡上市となった。永禄2 (1559) 年遠藤盛数が築城して以来城下町として発展。飛騨,美濃,越前を結ぶ交通の要衝であった。製材業が発達し,木工玩具が輸出される。毎年8月 13日から4日間徹夜で行なわれる盆踊りの「郡上踊 (ぐじょうおどり) 」は有名で,「郡上八幡」の名で知られる観光地。オオサンショウウオの生息地は天然記念物に指定されている。区域の一部は奥長良川県立自然公園に属する。かつての街道筋に国道 156号線などが集まる交通の要地で,長良川に沿って長良川鉄道が通る。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「八幡」の意味・わかりやすい解説

八幡[町]【はちまん】

岐阜県中部,長良川上流の飛騨高地を占める郡上(ぐじょう)郡の旧町。〈郡上八幡〉と通称。主集落は1559年以降郡上藩の城下町として発達,飛騨,美濃を結ぶ交通要地であった。長良川鉄道が通じる。製材,畜産,米作などを行う。城下町の面影を残し,盆踊の郡上踊は有名。2004年3月郡上郡大和町,白鳥町,高鷲村,美並村,明宝村,和良村と合併し,郡上市となる。242.31km2。1万6632人(2003)。

八幡[市]【やわた】

京都府南部の市。1977年市制。京都盆地南西部,木津・宇治・桂の3川の合流点南岸にある。主集落は古くから石清水(いわしみず)八幡宮門前町(鳥居前町)として発達,八幡惣町・八幡町と呼ばれた。八幡惣町の一,橋本町は淀川に臨み,古代から水陸交通の要所として知られた。京都市の近郊野菜栽培地であるが,近年は男山団地など宅地化が著しい。京阪電鉄京阪線が通じる。24.35km2。7万4227人(2010)。

八幡[町]【やわた】

山形県北西部,飽海(あくみ)郡の旧町。庄内平野北東部に位置する。観音寺,一条が主集落で,荒瀬川の渓口集落として発達,観音寺は農具市で有名。東部の山地では製材が行われる。日向(にっこう)川は発電,灌漑(かんがい)に利用。2005年11月飽海郡平田町,松山町と酒田市へ編入。204.76km2。7418人(2003)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「八幡」の解説

はちまん【八幡】

鹿児島の芋焼酎。伝統的な甕仕込みで醸す。仕込み水は飯倉山の湧水。白麹を使用し、常圧蒸留で造る。原料はコガネセンガン、米麹。アルコール度数25%、35%。蔵元の「高良酒造」は明治40年(1907)創業。所在地は南九州市川辺町宮。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

事典・日本の観光資源 「八幡」の解説

八幡

(長野県佐久市)
中山道六十九次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「八幡」の解説

八幡

鹿児島県、高良酒造有限会社が製造する芋焼酎。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の八幡の言及

【那須高原】より

…中部,南東部では第2次大戦前には軍馬の放牧や畑作が行われたが,戦後,集団開拓地が各所に立地し酪農や稲作を主体とする農業が行われる。北西部には,那須湯本温泉をはじめ,大丸温泉(単純泉,40~76℃),弁天温泉(単純泉,30~50℃),北温泉(単純泉,50~57℃),旭温泉(単純泉,70℃),八幡(やはた)温泉(単純泉,62℃),高雄温泉(硫黄泉,39℃),新那須温泉(単純泉,40~70℃)などの那須温泉郷の大部分がある。付近にはスキー場,ゴルフ場,那須国民休暇村,那須御用邸などがあり,別荘地の開発もすすんでいる。…

【浅科[村]】より

…寛永年間(1624‐44)に市川五郎兵衛が開削した五郎兵衛堰によって耕地化が進み,村の中央から東部には水田地帯が広がる。中心集落八幡は千曲川東岸の塩名田とともに近世は中山道の宿駅で,塩名田と千曲川西岸の御馬寄には千曲川の渡船場があり,交通の要衝であった。主産業は農業で,稲作を中心に野菜,ヤクヨウニンジンの栽培,畜産などの複合経営が行われ,御牧原台地を中心に肉牛飼育が増えている。…

【郡上藩】より

…美濃国郡上郡八幡に藩庁を置いた譜代中小藩。同郡と隣国越前の大野郡に所領をもつ。…

【公害】より

…大阪市の公害対策は戦争によって中断するが,戦前の先駆的な公共部門による公害対策といえよう。 第3の典型例は,八幡における八幡製鉄所の公害であろう。八幡製鉄所は官営であり,その公共性からいって,民間企業に比べてより進んだ公害対策をとらねばならぬはずであるが,実際には反対で,お上の権力で,〈企業城下町〉ともいうべき市民の発言が困難な都市をつくり上げた。…

※「八幡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android