朝日日本歴史人物事典 「静野与右衛門」の解説
静野与右衛門
江戸前期の算学者。佐渡金山の測量技術者。佐渡相川の人。町人で,上田勘兵衛という者から追手流の算術を学んだ(『佐渡相川誌』)とあるが,生い立ちや技術の系譜は不明。元禄4(1691)年から,佐渡奉行荻原重秀のもとで,大量の地下水を日本海に流すため,4年10カ月かけて総延長1.1km余の地下排水路(南沢水貫間切)を掘削。工期を早めるため開始点と終点の中間に2本の竪穴を掘り下げて工区を3分し,それぞれ前後合計6カ所から掘進する画期的な工法がとられたが,与右衛門がその測量を行った。この工事の完成で金山は「元禄の大盛り」といわれる最盛期を迎え,坑道完成以前の約5倍,年間の運上銀はおよそ1200貫となる。この排水坑道は平成1(1989)年の閉山まで排水路としての機能を果たした。<参考文献>麓三郎『佐渡金銀山史話』,磯部欣三『佐渡金山』
(磯部欣三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報