駄科村(読み)だしなむら

日本歴史地名大系 「駄科村」の解説

駄科村
だしなむら

[現在地名]飯田市駄科

現飯田市中央部、遠州往還が村の中央よりやや東側を通り、集落は台地上に点在する。北は毛賀けが村・島田しまだ村・名古熊なごくま村(現下伊那郡かなえ町)、東は天竜川を挟んで対岸知久平ちくだいら村、南は長野原ながのはら村・桐林きりばやし村、西はなか村・三日市場みつかいちば村・下殿岡しもとのおか村に接する。

天正一八年(一五九〇)より毛利氏領、慶長六年(一六〇一)小笠原氏領、元和元年(一六一五)幕府領、同三年脇坂氏領、寛文一二年(一六七二)堀氏領となり、明治に至る(長野県町村誌)。村高は、正保四年(一六四七)に五五九石余(信濃国絵図高辻)で、天保五年(一八三四)には一千三〇二石余(信濃国郷帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android