飯田市(読み)イイダシ

デジタル大辞泉 「飯田市」の意味・読み・例文・類語

いいだ‐し〔いひだ‐〕【飯田市】

飯田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「飯田市」の解説

飯田市
いいだし

面積:二九三・〇三平方キロ

県南部、下伊那地方のほぼ中央部にあり、中心市街地が天竜川右岸に展開する。市の中央部を天竜川が北から南へ流れ、西岸は東に傾斜した広い平地をなして西方の木曾山脈の前山へ連なる。東岸は平地が狭く、河岸段丘が迫り、東方の伊那山脈の山麓へと連なる。

飯田の地名は元応元年(一三一九)僧宗昭覚如が三河を経て飯田の僧寂円を訪ねた「常楽台主老衲一期記」の記事を初見とする。

〔原始〕

山本の石子原やまもとのいしごばらで先土器遺跡が確認された。また伊賀良の立野いがらのたつの・上飯田の正永寺原しようえいじばら座光寺の新井原ざこうじのあらいばらなど、山麓ないし山麓に近い台地上に縄文期の大きな集落遺跡がある。更に座光寺恒川ごんが松尾の清水まつおのしみずなど天竜川の下位段丘の低湿地に弥生時代の遺跡が多く、このような地域に稲作が広がっていったと推測される。座光寺・松尾・竜丘たつおか川路かわじ三穂みほ・伊賀良地区は古墳の密集地帯で、特に松尾・竜丘地区は一七基の前方後円墳が集中し、古墳時代の開発の中心地であったことがうかがわれる。

〔古代〕

和名抄」所載の伴野ともの麻続おみ(以上高山寺本)輔衆ふす(流布本)の各郷の一部をなす。


飯田市
いいだし

2005年10月1日:飯田市が下伊那郡南信濃村・上村を編入
【飯田市】[変更地名]長野県
【南信濃村】長野県:下伊那郡
【上村】長野県:下伊那郡


飯田市
いいだし

1993年7月1日:飯田市が下伊那郡上郷町を編入
【上郷町】長野県:下伊那郡
【飯田市】[変更地名]長野県


飯田市
いいだし

1984年12月1日:飯田市が下伊那郡鼎町を編入
【鼎町】長野県:下伊那郡
【飯田市】長野県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飯田市」の意味・わかりやすい解説

飯田〔市〕
いいだ

長野県南部,伊那盆地南部にある市。北西部に木曾山脈,南東部に赤石山脈および伊那山地の山々が連なり,中央部を天竜川が南流する。南東で静岡県に接する。1937年市制。1956年座光寺村を含む 7村と合体。1961年川路村,1964年千代村,龍江村,上久堅村の 3村,1984年鼎町,1993年上郷町,2005年村と南信濃村をそれぞれ編入。中心市街地は天竜川右岸の段丘上にあり,13世紀の初期に飯田城(長姫城)が築かれ,寛文11(1671)年以降堀氏 2万石の城下町として発達。早くから京都の影響を受け小京都と呼ばれた。三州街道遠州街道秋葉街道大平街道が集まり,物資の集散地として繁栄した。明治以後,幹線交通路から離れたため伊那盆地南部の地方都市にとどまった。かつての養蚕・製糸業に代わって食品,木工,精密・電子などの工業が行なわれるほか水引,凍り豆腐などを特産する。農村部では米作のほか果樹および林産物の栽培,畜産が行なわれる。市街地にリンゴ並木の名所があるほか,天竜峡(国指定名勝),木曾峠などの景勝地がある。開善寺山門,旧小笠原家書院白山社奥社本殿,文永寺の石室および五輪塔は国の重要文化財に指定。下黒田の舞台は国の重要有形民俗文化財,遠山の霜月祭重要無形民俗文化財に指定されている。市域の一部は南アルプス国立公園天竜奥三河国定公園中央アルプス県立自然公園に属する。JR飯田線,国道151号線,152号線,153号線,256号線,418号線が通り,1976年中央自動車道が開通したため名古屋との関係が深まっている。面積 658.66km2。人口 9万8164(2020)。

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