日本歴史地名大系 「高良内村」の解説 高良内村こうらうちむら 福岡県:久留米市旧御井郡地区高良内村[現在地名]久留米市高良内町・青峰(せいほう)一―三丁目府中(ふちゆう)町の南、高良川上流域に位置し、西は国分(こくぶ)村に接する。五―六世紀代の二八基の古墳が確認された西行(さいぎよう)古墳群、六世紀後半以降の鰐口(わにぐち)古墳・釜口(かまぐち)古墳・ひょうたん山(やま)古墳群などがある。横馬場(よこばば)に応永一一年(一四〇四)銘の地蔵菩薩像板碑がある。「高良玉垂宮神秘書」によるともと「尾サキ林(村カ)」とよばれ、「カウラ内」は高良三口の一つで、山内三六〇余坊のうち一五坊が「高良内」に建てられたという。高良三職の一つ高良山座主丹波氏の屋敷所在地で、同屋敷地四二町のうち当地分は三〇町。北の宗崎(むねざき)は高良内の一部であったという。文禄二年(一五九三)三月一八日の高良社神職名知行所数注文写(高良山文書)によれば、高良内に座主領一一町・普門院領五町・学頭領五町・乗楽坊領六町が置かれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by