日本歴史地名大系 「久留米城下」の解説
久留米城下
くるめじようか
〔城下の建設と規模〕
慶長五年(一六〇〇)小早川秀包が建設したキリシタン教会跡が発掘されている(両替町遺跡)。田中氏時代の城下町に
延享二年(一七四五)長町が通町と改称、天保三年(一八三二)通町三丁目を一丁目とし、これまでの一丁目・二丁目が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長五年(一六〇〇)小早川秀包が建設したキリシタン教会跡が発掘されている(両替町遺跡)。田中氏時代の城下町に
延享二年(一七四五)長町が通町と改称、天保三年(一八三二)通町三丁目を一丁目とし、これまでの一丁目・二丁目が
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