世界大百科事典(旧版)内のBernhardの言及
【ルートウィヒ[1世]】より
…この考えは,ゲルマンの相続慣習に反し,しかも教会はこれに乗じて,のちに皇帝,王を教会の奉仕者と規定した(829)。帝国遺贈令の処置は宮廷の大部分を巻き込むイタリア王ベルナールBernhard(797ころ‐818)の反乱(818)を招き,822年教会は彼に痛悔を命じた。さらに後妻ユーディットとの間に末子カール2世をもうけると(823),その取り分をつくるために,数回にわたって分国令を改め,すでに成人している3子の反乱を招き(830),ランス大司教エボらもこれに加わり,一時廃位された(833‐835)。…
※「Bernhard」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」