日本大百科全書(ニッポニカ)「子守歌」の解説
子守歌
こもりうた
lullaby 英語
cradle song 英語
Wiegenlied ドイツ語
Schlummerlied ドイツ語
berceuse フランス語
ninna-nanna イタリア語
arrullo スペイン語
乳幼児の守(も)りをしたり眠らせるときの歌。乳幼児にとって子守歌は、物心つかないうちから音声と肉体的刺激によって、音楽・文芸・身体運動などの文化的に規定されたパターンを受け入れる重要な事象である。まず第一に、母親や他の子守役(雇われた人など)が、腕・膝(ひざ)・背に抱いたり(負ったり)、揺り籠(かご)に入れて揺らす動きそのものが、それぞれの歌のリズムのあり方をある程度決定する。西洋の子守歌に3拍子が存在するのは、揺り籠を利用することと無関係ではない。歌詞として含まれることが多いのは、「ねんね」「眠れ」の類のことばで、これらは冒頭・くぎり・終止の部分で反復されて、歌の全体に統一感を与えている。歌い込まれる歌詞内容としては、たわいなく子供をあやすことばや、音節の反復、眠りに誘うための甘言やほめことば、逆に恐ろしい懲らしめのことばである。脅しや恨みが述べられる例は日本に多い。またオセアニアでは、村の歴史的な事件や家系をたどる史譚(したん)子守歌が広く分布している。その場合、歌詞は子供に聞かせるというよりも、無文字社会の大人が歴史を記録する意味合いが強く、一定の音型ないし旋律型を長時間反復することによって子供を眠りに誘う場がつくりあげられている。
欧米では、民謡から編曲したり、新たに作曲した子守歌が歌曲あるいは器楽曲として残されている。たとえば、モーツァルト(実際にはB・フリース作曲)、シューベルト、ブラームスの歌曲が有名であるし、ショパン、フォーレがピアノ曲をつくっている。
[山口 修]
日本の子守歌
日本民謡においては、乳飲み子を子守するおりの仕事唄(うた)の一つに分類される。子守仕事は、赤ん坊を寝かせるためと、あやすための二つに大別され、唄のほうも「眠らせ唄」と「遊ばせ唄」の二つに分けることができる。「眠らせ唄」は、ことばが通じるか通じないかの相手に安心感を与えるべく歌うため、「ねんねんよう」といったことばに多少の抑揚を加えたものが本来の形であり、今日も広く歌われている『江戸子守唄』(ねんねんころりよおころりよ、坊やのお守はどこへ行った、あの山越えて里へ行った、里の土産(みやげ)に何もろた、デンデン太鼓に笙(しょう)の笛……)が日本中に広まったのは江戸時代に入ってからのことである。一方「遊ばせ唄」は、子供を楽しく遊ばせるためのものだけに、七五調を繰り返して、それを必要なだけ続け、そこに歌い手である子守の目に映るものを並べてゆく形が多い。そのため、「眠らせ唄」に比べると曲は抑揚が大きく、歌詞に出てくるものにも動きがある。
これら赤ん坊の身内の人が歌うものと別に、子守奉公に雇われた少女が、労働としての子守で歌ってきたものがある。この種のものは、いずれも子守の出身地の農作業唄か酒盛唄を借用し、歌詞だけが子守女の創作である。歌詞の創作に2種の傾向があり、一つは福岡県の『博多(はかた)子守唄』(うちの御寮(ごりょん)さんながらがら柿(がき)よ、見かけよけれど渋ござる)に代表される、子守が居直って雇い主の悪口を歌うもの。もう一つは熊本県の『五木(いつき)の子守唄』(おどま勧進(かんじん)勧進あん人達(たち)よか衆(し)、よか衆よか帯よか着物(きもん))のように、子守女が境遇を嘆くことでわが身を慰めるものである。そしてこの子守奉公の唄と「眠らせ唄」が、日本の子守歌のなかで今日も人気がある。
[竹内 勉]
『松永伍一著『日本の子守唄』新装版(1978・紀伊國屋書店)』