世界大百科事典(旧版)内のDharmapālaの言及
【安慧】より
…西インドのカーティアーワール半島にあるワラビーValabhīに生まれ,徳慧(とくえ)の教えをうけた。安慧の学説は,〈無相唯識〉といわれ,同時代に活躍した護法(ダルマパーラ)Dharmapālaの学説〈有相唯識(うそうゆいしき)〉と区別される。その特色は,すべての心作用を根底から規定している潜在意識,すなわちアーラヤ識は究極的には否定され,見るものと見られるものの区別を失った絶対知が得られる。…
【護法】より
…瑜伽行唯識派(ゆがぎようゆいしきは)の所属で十大論師の一人。サンスクリット名はダルマパーラDharmapāla。南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが,王の娘との結婚式の夕べに出家した。…
【パーラ朝】より
…8世紀中ごろから12世紀までインドのベンガルを支配した王朝。ハルシャ・バルダナの没後の小国分裂の〈弱肉強食の混乱状態〉のとき,ゴーパーラGopāla(在位750ころ‐770ころ)がベンガルを統一して王位に就き,その子ダルマパーラDharmapāla(在位770ころ‐810ころ)はビハールを領域に加えカナウジまで進出して,インド最大の勢力となった。このときから西のプラティーハーラ朝,デカンのラーシュトラクータ朝と抗争してインドの覇権を争った。…
※「Dharmapāla」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」