日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーラ朝」の意味・わかりやすい解説
パーラ朝
ぱーらちょう
Pāla
インドの王朝。8世紀中葉から12世紀末葉にかけて、ガンジス川流域のビハール、ベンガル地方を支配した。後期グプタ朝滅亡後の同地方の混乱を救うために、750年ごろゴーパーラが選ばれて王位につき、王朝を創始した。次のダルマパーラは、北西方のプラティーハーラ朝、南西方のラーシュトラクータ朝を抑えてカナウジに進出し、王国の版図を拡大した。続く9世紀前半のディーバパーラも数々の勝利を収めたが、その後はプラティーハーラ朝の侵攻が激しく、11世紀初頭には南インドのチョーラ朝の侵入をも受けて勢力が衰退した。11世紀末に一時勢力を回復したが、12世紀中ごろまでにベンガル地方がセーナ朝の手に落ち、同末期にはムスリムの侵入をも受けて滅亡した。この王朝は仏教を保護し、ビクラマシーラに大きな僧院が建立されたが、仏教はヒンドゥー教シバ派の影響を受けた密教が行われ、ネパールとの交流も深まった。この時代、絵画、彫刻にも新しい様式が生み出され、しばしば妖艶(ようえん)な姿態で表される女性菩薩(ぼさつ)のターラー菩薩はその代表的なものである。
[辛島 昇]