世界大百科事典(旧版)内のFerro,S.dalの言及
【カルダーノ】より
…カルダーノの学問的業績として歴史的に見て最も高く評価されるのは,代数学の研究である。古代ギリシアから15世紀末まで3次方程式の解法は不可能であると信じられてきたが,16世紀になるとS.dalフェロScipione dal(del) Ferro,タルターリア等はその特殊な解法を発見した。しかし彼らはいずれもその秘密を公開することはなかった。…
【代数学】より
…これらの古代の古典代数学のその後の発展は緩やかであり,中国において,13世紀に高次方程式の数値解法が行われたが,16世紀の西洋において急速な進展が始まった。その第1はフェロScipione del Ferro(1465‐1526)らによる三次方程式の解法,続いてL.フェラリによる四次方程式の解法の発見である。第2はF.ビエトらによる数式表示の革命,すなわち,それまで方程式は文章で表されていたのであるが,まずドイツで+,-の記号の使用が始まり,ビエトは+,-だけでなく,未知数を母音を表す文字で,係数を子音を表す文字で表して,文字係数の一般方程式を書き始めた。…
【フェラリ】より
…カルダーノはタルターリアが三次方程式の解法を見いだしたことを耳にし,教授を願い出たところ,秘密にすることを条件にその解法を与えられた。その後,カルダーノとフェラリは,三次方程式の解は,すでにフェロS.Ferroによって得られていたことをフェロの手稿を検討することから確認,解法はカルダーノの《大技法》(1545)に公表された。タルターリアは破約に怒り,《様々な問題と発明》(1546)の中でカルダーノを譴責(けんせき)した。…
※「Ferro,S.dal」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」