世界大百科事典(旧版)内のFrederikの言及
【ストルーエンセ】より
…その地位にあった16ヵ月の間に約2000の法令を発布し,自ら啓蒙主義改革者として言論の自由,拷問の禁止等をはじめ政治的・経済的にきわめて自由主義的色彩の濃い政策を敢行した。19世紀の経済的・社会的改革の先駆者として歴史的には評価されてはいるものの,時代の被抑圧者らの理解も得られることなく,その独裁的性向,性急すぎる改革,王妃との不貞,デンマーク語の不使用が,宮廷・軍部内の反対者を結集させるところとなり,第1王位継承者フレゼリクFrederik(1753‐1805)やグルベアを中心とする反ストルーエンセ派によって1772年1月17日逮捕され,4月28日斬首された。【村井 誠人】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」