改訂新版 世界大百科事典 「ストルーエンセ」の意味・わかりやすい解説
ストルーエンセ
Johann Friedrich Struensee
生没年:1737-72
ドイツ出身のデンマーク政治家。精神障害のあるデンマーク王クリスティアン7世(在位1776-1808)の主治医となり,1770年宮廷に入り,王妃カロリーネ・マチルデと情を交わし,同年枢密顧問会を廃止し,翌年自らが〈宰相〉となる。その地位にあった16ヵ月の間に約2000の法令を発布し,自ら啓蒙主義改革者として言論の自由,拷問の禁止等をはじめ政治的・経済的にきわめて自由主義的色彩の濃い政策を敢行した。19世紀の経済的・社会的改革の先駆者として歴史的には評価されてはいるものの,時代の被抑圧者らの理解も得られることなく,その独裁的性向,性急すぎる改革,王妃との不貞,デンマーク語の不使用が,宮廷・軍部内の反対者を結集させるところとなり,第1王位継承者フレゼリクFrederik(1753-1805)やグルベアを中心とする反ストルーエンセ派によって1772年1月17日逮捕され,4月28日斬首された。
執筆者:村井 誠人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報