IbnTāshfīn(その他表記)IbnTashfin

世界大百科事典(旧版)内のIbnTāshfīnの言及

【ムラービト朝】より

…セネガル河口の小島に建てられたリバート(修道場)で彼の説教を聴いた修道士たち(ムラービトゥーンと呼ばれ,王朝名の起源である)は,やがてジハードを唱え,南下してガーナ王国を滅ぼし(1076),スーダンのイスラム化への道を開いた。イブン・ターシュフィーンIbn Tāshfīn(在位1061‐1106)に率いられた軍隊は北上し,モロッコとアルジェリアの西半分を征服,首都マラケシュを建設し(1070ころ),さらにイベリア半島南部をも征服・支配した。イベリア半島の支配とともに,進んだ建築技術や学問がマグリブに流入した。…

※「IbnTāshfīn」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む