世界大百科事典(旧版)内のKassandrosの言及
【ディアドコイ】より
…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世,デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世,リュシマコス,セレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…
【マケドニア】より
…彼の死後フィリッポス3世の妻エウリュディケEurydikēと幼いアレクサンドロス4世の祖母(すなわち大王の母)オリュンピアスが軍を率いて戦い,オリュンピアスはフィリッポス3世夫妻を殺害する(前316)。しかし彼女はアンティパトロスの子でマケドニア支配を狙うカッサンドロスKassandrosに殺され,カッサンドロスはさらにアレクサンドロス4世とその母をも殺し,アルゲアダイの男系は絶えた。そしてフィリッポス2世の娘テッサロニケTessalonikēと結婚していたカッサンドロスはマケドニア王と称するに至った(前304)。…
※「Kassandros」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」