世界大百科事典(旧版)内のkivaの言及
【バスケット・メーカー文化】より
…III期(400‐700)に入ると,農耕体系が確立され,マメ類も栽培された。集落遺跡も大規模化し,地下式の宗教的建造物(キバkiva)を有する集合住宅形式の竪穴住居群が現れる。南方のモゴヨン文化からの影響をうけて土器も製作されはじめ,長方形のメタテが使用された。…
【プエブロ族】より
…プエブロ文化III期(1100‐1300)の大集落遺跡(プエブロ・ボニートやクリフ・パレスなど)や現存のタオスの集落にみられるように,3~4階建てのアパート形式の集合住宅であった。集落には方形ないし円形のプランをもつ半地下式の宗教的建造物(キバkiva)が今日でもある。 各集落は,独立した部族の形式をとる。…
【プエブロ文化】より
…プエブロ文化I期(700‐900)には,先行するバスケット・メーカーIII期の半地下式竪穴住居が平地式の集合住居へ移行する。II期(900‐1100)には,集落は散在する傾向を示し,石積みの壁をもつ数室のアパート式住居と半地下式の宗教的建造物(キバkiva)の組合せが出現する。III期(1100‐1300)の集落は人口集中の傾向を示し,大集落が築かれた。…
※「kiva」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」