世界大百科事典(旧版)内のMubārakの言及
【エジプト】より
… サーダートは,81年10月にイスラム過激派に暗殺されるが,同政権末期の国内反政府運動の高まりは,下層中産階級を中心とする経済的不満と指導部の腐敗に対する怒りが,恐怖政治緩和によって増幅された結果もたらされたものである。ムバーラクMubārak政権は1982年4月シナイ完全返還後,イスラエルとの和平を維持しつつサーダート外交の修正を進めた。アラブ・レベルでは中東和平やイラン・イラク戦争調停を通してリビア,シリアを除くアラブ穏健派連合を念頭に置いた外交イニシアチブを発揮し,89年5月カサブランカでのアラブ首脳会議でアラブ連盟への正式復帰を果たした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」